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2013年2月 2日 (土)

みなさん、さようなら 鑑賞

注意 ネタバレあり

クロフネは団地在住今年4月で丸31年になる。30年以上、つまりは人生の大部分を団地で過ごしてきたことになる。しかも、県営の団地だ。

県営を強調することに何を意味するのだろうと感じる人もいるかもしれない。
重要なことなのだが、あえてそれが何を意味するかはここに書かないことにする。
ただし、この県営(都営)かURか社宅か、更には賃貸か分譲かという違いは団地住人には大きな違いをもたらしているのは確かなことだ。団地を知らない人でもそれはそうなのだと思っていてほしい。

 

さて、本題だ。
みなさん、さようなら」という映画を観てきた。
久保寺健彦氏原作の団地を舞台とした作品である。
そう、団地が舞台であり、劇中はひたすら団地が映るのである。
団地愛好家にはたまらない作品と仕上がっている。団地愛好家のクロフネも、もちろんやたらに映る給水塔や近所住人の家を映されたような感覚になる団地の室内に興奮したものだ。
いや、もちろん団地に興味ない人でも楽しめる。そもそも、団地愛好家など意識して作られた作品ではないのだから。団地に興奮している観客はかなり稀なケースだ。
そもそも、なぜここまでひたすら団地が劇中で映るのか。実はこれがこの作品のカギなのだ。
予告編を観ればわかる通りに、主人公はとあることがきっかけで団地から出られなくなるのである。団地を出ようとすると発作が起きて出られない。だから、団地から出ずに一生をその団地で終えようと決意する。そこから話は始まる。

そう、「団地を出るか出ないか」問題に通じているのだ

それは、まさに団地妻作品でも描かれてきた問題。
1970年代初期に撮られた昭和版団地妻は最終的に目黒の高級マンションに住む相手と不倫して団地を出た。
団地族という言葉が廃れ、マンションの地位が上がってきた時代を象徴した結論だ。
しかし、平成版団地妻では給水器を売り歩く×1子持ちでアパート住まいの将来が見えない男と不倫し、最終的には「こんにちは」とセリフを残して団地を出ない結論を見せた。
作中では団地内で高齢化問題が深刻になり、先輩住人がこのまま何もなく団地の中で一生を終えてしまう不安を強調していた。平成版は、そこでの団地を出ない(出られない・出た先に希望がない)結論である。

団地は、戦後の悪化する住宅事情を解消するために造られてきたインフラ。
団地初期は若く収入がまだそれほどでもない夫婦が住むことを想定した住宅。
つまりは、やがて子供ができ成長して手狭になり、収入も年功序列の社会によって上がってきたところで引っ越してもらうことを想定していた。
それが当初の団地生活スタイルだった。

それが、見ての通りの社会的光景となってきた。
何十年もの長きにわたり団地に住みついてきた人も多い。社会に出たてで入居した住人も、築40年の団地ではもはや年金生活に入ろうとしている。
だからこその団地を出る出ない問題になる。

いや、この映画にとってはそこまで現状の課題を浮かび上がらせて作品を通して問題提起するつもりはないのだろう。
しかし、団地生活31年のクロフネからすると、この団地から出られないという要素はどうしてもそこに絡めてしまうのだ。

しかも、作中では小学校卒業時から始まり主人公が30になるくらいまで続いている。
その間に描かれる団地が、妙にリアルなのだ。
主人公とともに、団地も実社会に沿った形で年齢を重ねているのである。
107人いた同級生が少しづつ減るように、団地も少しづつ状況を変える。高齢化問題、外国人問題。やがては建物老朽化問題により一部の棟が取り壊されていく。大幅に入れ替わる住人、衰退していく団地。
それは、まさに団地が抱えた(特に都営・県営)大きな問題だ。

しかし、作品は違う一面を見せる。
団地は衰退していく。
しかし、主人公は成長していくのだ。
そう、衰退ではなく堅実に強くなっていく。
精神的にも、肉体的にも。
まるで、衰退する団地を一人で必死に励ますかのように。
そこでしか生きられないからこそ、団地の衰退を励ますかのように。
衰退と成長、その流れが作中の流れで実にしっかりと描かれていて、最後の方での両方の結果が描かれ本当に見事だと思った。
最初に作った流れをうまく取り込めているのだ。
だからこそ、最後で大山倍達の映像とリンクした格闘シーンに感動が生まれる。1本指での腕立て伏せに観ているこちらも感動を覚える。主人公は迷いを見せずにずっと信じ込んできたことが最後の最後で成就する。そこに達成感を覚えずにはいられないのだ。

そして、ラストの結論である。

みなさん、さようならでは、団地を出る出ない問題にああいう形で結論付けた。
流れからすれば当然であろう。
主人公のその背中に対し、もはやクロフネはうなずくしかなかった。
主人公は成長を見せ大きくなっていった。

団地は衰退していく。残っている住人は、その姿に何を見出すのだろうか。
留まってはいられないはず。主人公のように、信じる道へ突き進まなければ。

ちなみに、文章内で団地全体が衰退している印象を与えてしまっているが、建て替えられた団地はむしろ東雲を代表するような団地になっていたりもするので一概に 団地=衰退 という方式は成り立たない。
ただ、都営・県営はどうしても予算もあるし、住人が高齢者ばかりだし、家賃が家賃なだけに住人も色々とね。

2010年8月28日 (土)

カラフル 鑑賞

カラフルを観てきた。

正直、この監督の作品を映画館で観るのは初めてであり、特に監督のファンというわけでもない。CMが気になったのでなんとなくな気分で観に行ったのだ。

 

見事なカウンターパンチである。

 

感動したとかそうではない。いや、感動はした。青春映画としても傑作と言いきっていいだろう。
しかし、そうではない。自分の心にまた違う要素がグサグサと胸に突き刺されていったのだ。
この監督、実に恐ろしい表現者だ。これほどまでにこちらの心を容赦なく抉ってくるとは。

とにかく、冷えた家庭内で繰り広げられる作られたやり取りがリアルなのだ。母親との会話と、それに冷たい対応を見せる主人公。兄弟なのにぎこちない空気。父親のどうしていいのかわからない不器用な子供への対応。観ていてグサグサ来る。こんなに抉られたのは久しぶりだ。

これは、もう冷えた家庭を体験した経験がある人、現在進行形で冷えた家庭の十代、息子との関係がぎこちない親、これらの人間が観たら同じ心境に陥るのではないだろうか。
自殺とかそういうのは関係ない。ぎこちなく無理やりなやり取りと息子の冷たい対応が観ていて苦しくなる。
これだけでもこの映画は自分の中では成功した作品に認定できる。

そして、それだけでは終わらない。
しっかりと主人公が自分を見定めて道を踏み出す様まで描ききっている。
それに一役買わせたクラス31番目の男は効果的だった。
自分の創作上でも大変参考にできるストーリーの進ませ方でもある。

とにかく、現役十代には観てもらいたいお勧めの映画だ。

2010年2月20日 (土)

涼宮ハルヒの消失 鑑賞

この日も、連日どおりに寒さ厳しい日になった。厚手のコートを羽織り必死に寒さに耐えながら向かった先が川崎である。
まさか、一週間に2度もラチッタデラの敷地に入るとは思ってもみなかったが。

そういえば、高校時代にはこんな最高気温が10度未満の日でもコートなど着ずに登校していたなとふと思い出した。うちの高校は、制服に関しては県立高校のくせに独特でオリジナルのジャンパーがあった(トレーナーやポロシャツも)。それゆえに、それ以外のコートなどの防寒具が許されてなかった。残念なことに、このコートのデザインはダサかった……
着ているものも半分はいなかった……。
しかし、その記憶が正しいとなると、自分と同じように防寒具を着込まない人間が半分以上もいたということになるが。なんという恐ろし学校だったんだろうか。

そんな記憶を掘り起こしたのが「涼宮ハルヒの消失」である。
あんな厚着ができるなんて羨ましい学校だ!
俺はマフラーすらしてなかった。

いや、防寒具の記憶は重要ではない。
今はなき我が母校の批判でもない。

予想以上に丁寧な本を書いてきたな。
そんな印象。
ただのドタバタコメディーにはおさまらない作品であるというのを改めて証明した作品。
キョンの一人称視点で進められている話がうまく活かされている。
彼の、周囲に巻き送る不条理ともとれる出来事に対する葛藤と決意が細かく描かれて感心した。
ただのキャラクター小説の域を脱し、それぞれの奇抜な性格を抽出するだけにとどまらず、きちんとそれぞれの立場からの視点も描けているのには評価せざるを得ない。
あまり何も考えないで、ほぼテレビシリーズの惰性で観に行ったのだが、意外と面白かったので面食らった格好である。

ただ、俗に言う世界系の空気であり、あの登場人物たちの人間性に合うか合わないかで意見が分かれそう。
でも、アニメ版よりもキャラクターの癖が抜けていて比較的(あくまでテレビシリーズと比べて)さっぱりした印象はあったが。つまり、より自然な(自然に近づけた 実際に高校生と比べたらまだまだ乖離しているが)高校生かなと。
ハルヒも今回は、脇役的な存在だし。
あくまで、キョンの葛藤と決意が問題だったのかな。
だからこそ、すっきりとした印象を受けた。

あと、長い!
後半これで終わりかと思いきや、なんだかまだ続けられたし。
もう少しバッサリとできたかと思えるが。

2010年2月13日 (土)

戦場でワルツを 鑑賞

戦争映画が好きである。
好きな映画を上げろと言われれば、真っ先に上がるタイトルの一つに「地獄の黙示録」が含まれる。
しかし、なぜ戦争映画にこれほどまで興奮するのだろうか?

戦争という悲惨で残酷な非人道的体験を見つめつつ、平和とは何かを改めて感じ取りたいから?
人が死ぬシーンを観て逆に非道な感性をあらわにし、興奮の極致に狂いたいから?

どちらでもあり、どちらでもない。
とかくと、人間性を疑われそうだが。

簡単に書くと、決して体験できない事柄を映画という表現で体感して(したつもりになって)普段は味わえない感情を疑似体験したいから、恐らくはこれなのだろう。
戦争映画とは、特に特異な感情が映像から襲っていて、自身を何とも言えない不安と興奮が入り混じった快感でもあり不快でもある心境に陥れる。
その気持ちを味わうために映画を観ているのかもしれない。

その意味では、この「戦場でワルツを」という映画は秀逸である。
まず、なによりもアニメーションという表現方法を選んだこと。
色調が濃い独特の絵柄なのに、主人公を含めた登場人物全体の感情起伏があまり見受けられず、どことなく冷たくも感じさせられた。フラッシュアニメなのか、動きもなにか自然なようで不自然なところが、監督が曖昧な記憶を求めている様と重なりいい味を出していると思える。現実の話なのであるが、監督の「記憶が欠けている」というポイントがある限りではどことなくフィクションな色合いが滲んでいる。それだけに、現実的な表現は逆にどことなく嘘くさくなっていたかもしれない。
そして、ヘタに戦争とは何かという主題を押しつけようとしない表現スタイル。
追いかけているうちに自然とこれまでの体験はなんだったのだろうかと考えさせるスタイルがいい。
そして、その過程があるだけに、ラストの映像が意味を持つのかもしれない。

戦争映画だからとかそういう意味では勧めない。
冷たい不安定な感情を求めている人は観に行くべきだろう。

2010年2月 7日 (日)

パラノーマル・アクティビティ 鑑賞

想像力とはある意味でエンターテイメントなのだろう。

確かに、製作費が100万ちょいで作りが安っぽいのは明らかである。
というよりも、ただのホームビデオを編集したにすぎないのだから高くつきようもないのだが。
アイデア自体に金を払っているものなのだろう。

この映画、映像で見せるとかそんなちゃちなものではない。
いってみれば、「タメ」である。
「タメ」を存分に味わう映画といっていい。
この「タメ」が効果的に効いて恐怖を掻き立てる。
例えるなら、ジェットコースターの出だしが何度もある感じか。しかも、一気に落ちるのではなく微妙に落ちてはまた長くゆったりとした上昇に入る、そんな感じだ。
何かあるよ、何かあるよ、と焦らして、ちょっとだけ見せてあげる、を繰り返し、最後に思いっきり「ほら!」と突き付けてくる。

逆にいえばそれだけしかない内容なのだが。
登場人物の行動にも変におかしなところが散見するし(そもそも、恐怖体験があるとわかっててなんであんなにあっさり眠りにつけるのか)
そんな粗が目立つので、細かいことを気にしすぎて興ざめする人には向かないだろう。
また、そもそもお化け屋敷みたいな施設に全く動じない冷めた人も向かない映画だ。

裏を返せば、お化け屋敷にキャーキャー言える人ならば見て損しないだろう。
実際、それっぽい女子高生が映画直後に「これはクラスの子に教えないと」と言ってたし。
そんなアトラクション的映画である。

個人的には、充分その演出を堪能できたので評価は高いが。

2010年1月31日 (日)

Dr.パルナサスの鏡 鑑賞

「Dr.パルナサスの鏡」鑑賞。

 

この手の映画に客が求めている要素とは何なのだろうか?

おそらく、大体はそのキャスティングに何かしらの期待を寄せての鑑賞なのかもしれない。それから漏れた人間は、テリー・ギリアムという監督自身の感性に期待しての鑑賞なのだろう。
もちろん、ちょうどいい時間がそれだったとか、他の映画は大体観たのでこれをなんとなく選んだという漠然とした理由もあるだろうが。

個人的には、二択で選ぶのであれば後者の監督要素である。
ただ、監督の作品は「未来世紀ブラジル」のみの視聴経験なのでファンとしてのスタイルとはかけ離れている。
つまりは、ギリアム氏のファンから得られる情報のみのイメージにより描く期待による鑑賞だ。
幻惑的で困惑的なイメージがそこにはある。
幻想的と書くとなにかいいイメージがあるので、幻惑的で視聴者を惑わしているというイメージから幻惑的と書いてみた。
ギリアムの勝手なイメージは、とにかく観ていて理解するとかそういうのではなくて、頭の中をぐちゃぐちゃにされるとか、変な気分にされるとかそういうものである。だからこそ、今回の作品も鏡の中の世界というのでそういった類のものを勝手に期待しながら映画館に向かった。

正直書くと、その期待は少々肩透かしに終わりなんだか消化不良な晴れない気分である。
幻惑的で困惑的な世界はそこに確かにあったのだが、どこかしらで正気を保とうとしている感覚もありなんだか突き抜けられずにもどかしいのである。
結果的に、なんだか分からない要素もあり、困惑的な気分に陥っているものの、どこかストーリーに正常性が垣間見られるので(出だしは何に向かっているのかわかりづらくまさに困惑的だったが)期待は決して満たされない。

ただ、鏡の中で見られる世界はそれこそ幻想的で美しく観ていて飽きがない。
ストーリーからあえて外して見ているとまさに自分の妄想の中に紛れ込んでいるかのようで楽しく観られた。
そこはさすがに秀逸な才能である。
ただ、やはりあまにも特徴的なので観る人を選ぶ世界観ではあるが。
けっしてジョニー・デップが出ているからという理由だけでデートに選んではいけないだろう。
二人で、「なに、あれ??」という会話になるから。
素直にアバターでも観ておきなさい。

 

2010年1月 5日 (火)

THE 4TH KIND 鑑賞

フォース・カインド 鑑賞

簡単に書くと、アラスカで起きた人類とは異なる「何か」の存在と遭遇した人たちの話、であり、一応は実際に起きた出来事を基に作られた映画である。
実際に映像もふんだんに盛り込まれ、ある種のドキュメンタリーのような趣も見られる。

が、的確に書くならシリアスに作ったUFO特番といった感じの方がわかりやすいか。
それゆえに、信憑性などが求められ、超常現象の類を完全否定する人間にはまず受け付けられない映画であろう。そういう人は観るべきでない映画だ。
最後に、「信じる信じないはあなた次第」みたいなセリフも入ってくる。

だが、個人的にはそんな要素は関係なしに楽しめた。
まず、実際の映像の信憑性など関係なく緊張感に満ちている。
なにが一番かと問われれば、肝心の「何か」がはっきりと示されないまま終わるところ。
終始、「何か」の存在が示唆されるのだが明確にならず、徐々にヒントじみたものが漏れ出すのだが、結局はぼやけた存在のままで終わる。
下手に宇宙人みたいなわかりやすい(?)存在を出されていては興ざめしていただろう。

確かに、否定しようとすれば否定するのはできる。
が、それは本当の意味での完全否定ではない。専門家でもないし、ましてやそれこそ神でもないのだから理屈だててその存在を否定などできない。
それゆえに、「何か」に対して畏怖する気持ちは払拭できず、信じているわけでもないのだが迫力とおぞましさ溢れる映像についつい緊張を高めてしまう。
また、演出もうまい。
引き込まれてしまったのは紛れもない事実。

だからこそ、個人的にはこの映画を評価する。

2009年12月31日 (木)

アバター 鑑賞

アバター鑑賞(ノーマル 字幕)
以下、少しネタばれあり

久しぶりのジェームスキャメロン監督。
別に大ファンでもないのだが、昔は彼の作品の興奮して観ていたものだ。

しかし、時が経つと色々と余計なものが付随して必要以上に何かを求めてしまいがちになる。
もう素直に演出や画像の美麗さだけでは満足できなくなっているのだなと実感。

別に批判するつもりはない。
実際、なかなかの娯楽作品だと思える。
画像の美麗さと迫力には圧倒されたのは事実。世界観も魅力的。
ここまでの画的な演出できるようになったのかと脱帽したものである。
これだけでも金を出した価値はあると思う。
ただ、エンドロールが流れ出してついつい考え込んでしまった。
なにが腑に落ちないのだろう、と。

おそらくは、ストーリー。
ひねりがない。
向こうの映画だけに、ついつい裏切りやら陰謀があるのかと思って構えていたら、終わってみたらあっさり感たっぷり。
自然と調和した世界なのでナウシカのような展開かと思いきや、特に自然の反乱なし。
(動物たちの反乱はあったけど、そうではなくて星全体の力みたいのを期待していた)
勝手な期待だと言えばそうなのだけど、やはり一転二転はほしかったな。
あれほどストレートだと、まさに映像を楽しむだけに作った作品にしか思えないから。

更には、感情移入がしにくい。
この映画の場合、ナヴィ側視点で見ていくのが正当な見方なのだろうけど、どうもすんなりとナヴィ側に感情を持っていくことができず、だからといえ人間側は完全に悪として描かれているのでこちらも不可。結局、どっちつかずで観続けていたのですっきり感が出なかったのもあるのだろう。
なぜなのだろう。
主人公の生きざまが見えてこなかったから? ナヴィが人間という存在とは離れているから? それぞれの人間(ナヴィ)ドラマがそれほどでもないから?
う~ん……。

映像や世界観は ☆☆☆☆☆
ストーリーとしては ☆☆
きっと、何も考えずに観にいけば、☆5つはあげられる作品ではないだろうか。
それが素直で一番いい観方だと思う。

2009年8月 2日 (日)

サマーウォーズ 鑑賞

横須賀の花火大会回避して映画鑑賞。
花火大会あったから人も減るかと思ったんだけど、まあ見事な混み具合で。

「サマーウォーズ」
言わずも知れた、時をかける少女の細田守監督最新作である。
前作は新宿まで出むき、DVDボックスも購入したほどお気に入り作品。
それだけに、今作も期待が大きくなるのは自然な流れというものだ。

で、率直な感想。

これはいい!
実にいい!!
もう一度観に行きたいくらい。

ヱヴァでその表現に嫌気がさした俺にとっては、このさわやかな表現スタイルは実に「癒し」だ。
癒しとはいえ、監督も言っているとおりにアクション主体の内容なのだが。
ネットの中でも外でも(主に中だが)派手でダイナミックな動きが展開され、興奮が冷めやらない。
そして、何よりもコミカルな要素が実に個人的感性にマッチした。
やや内輪的なネタな要素も孕んでいるものの、ついついにやけたり微妙に声に出して笑ってしまっりした。
主人公のリアクションのわかりやすさがよかったのかもしれない。
まさにリアクション主人公。

ストーリーは、ややお決まりなお話構造にはめられた感もあるが……いや、完全にはまっていたのだが、その表現スタイルと今となってはむしろ珍しくなってしまったその爽快さにまさに「癒された」だけに評価は高い。
エヴァのようなあくの強い作品に違和感を感じた人間ならば、こちらを選択してみてくれ。おそらくは期待を裏切らないはずだ。

ただ、観にいく前に花札の勉強はしておいた方がいいかもしれない。
話でかなり重要な部分で花札やりだすのだが、ルール知らなかっただけに戦況がよく理解できなかったから。

2009年7月 4日 (土)

己の感性が「破」滅しそうだ

ヱヴァンゲリオンを観てきた。
金曜のレイトショーなんで、まあそこそこは混むのかと思いきや……かなり混んだよ。
なのに自由席って、映画館の判断間違えているだろう。
おかげで、30分前には映画館前でスタンバイだ。
本読んで時間潰ししたが、まあこれが落ち着かない。

そんだけ、世間的に注目されている作品であり、世間的に評判な作品でもあるのだが。

けどだ、けどだよ。俺の感性には不快な不協和音が響き渡った。
ちゅーか、みんな平気だったの?
俺、映画終わって本当にどっと疲れが出たよ。
映画観ていて疲れたのって「SAW」シリーズ以来だ。
けど、SAWの場合は最後の最後で仕掛けが用意されているのでいい意味で「やられた!」という気分で映画館を出るのだが(シリーズによってはダメなのもあるけどね)。
しかし、今回はそれがなかった。つまらないとかじゃなくて、あまりにも過激で暴力的で混沌としていて破滅している表現が押し寄せてくるので、もうそれに打ち負けたわけで……。
機体の暴走シーンは、もはや表現者の暴走とも思えるのだが。
半端はダメなんだけど、あの方向性において突き抜けられると気分が悪くなる。
直接的なグロテスクさもそうだが、精神的なグロテスクさが俺の感性とミスマッチして気持ち悪かったんだよね。
なんというか、前に常人とは感性が明らかにずれている(もちろん、変な方で)人が描いた絵が幾つも出てくる動画をじっと見たことあるけど、あれに近い感覚で作っているんじゃないかと。

まあ、自分自身の感性に合わなかったと言えばそれまでなんだけど、多くの人間が称賛している事態はなんか違和感覚える。
客層も、かなりデートカップル確認できたし。
なんなの、みんなあんなのがいいの? 製作者(もちろん、一部のだろうけど)のグロテスクな心理に付き合えたわけなの?

そんな疑問だけが、映画を観終って湧き出てくるのだ。
まあ、表現スタイルをさっぱりと抜きとって、ストーリーだけを見れば面白かったといえるんだけどね。多少、テンポの良さからストーリーの消化だけみたいな場所もあったけど。

とはいえ、やはり世間的評判作品ともなれば完全に観ないと気が済まないので次回も観るんだけどね。