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2019年11月 2日 (土)

下手な創作は見るに堪えない。修行してから出直すがいい!

Halloween2019_1
Halloween2019_2
多摩センターのハロウィンにて
写真提供:柳和雪

先日のブログ記事で、創作は世界観が大切だということを述べた。

作者は1枚の作品でもキャラや背景だけでなく、その作品が持つ世界観を広げることが大切であり、観ている者もまたその作者が込めた世界観を感じ取る意思を見せなければならないと。
残念ながら、創作活動に興味のない方々は、そもそも頭の中に世界観を広げる下地が弱いのか、美麗な作品を見てもその表層だけをすくい取って終わりにしてしまう人が多い印象を受ける。

それでも、表現者となれば、その世界観を存分に描き出し伝える努力に努めねばならない。理解者は必ずいるのだから。

 

10月の終わりと言えば、日本でもすっかりと恒例行事となったハロウィンがある。今では有名となった渋谷や池袋・川崎だけでなく、小さな商店街のイベントとしてもあらゆる地域で開かれるようになった。
様々な仮装した子供たちやカップルなどを街中で見かけた人も多いだろう。その流れに乗って、読者自身が仮装体験した人もいるのではないだろうか。
そういう筆者も、今年は初めて人間ではない姿でハロウィン会場を練り歩いてみた。今まで、カワサキハロウィンなどで手の込んだ衣装を着こんだ人たちの写真は多く撮っていたが(過去記事にそれらが掲載されている)、自分が何かになるのは初体験だった。

そこで感じたのが、『世界観を表現する壁』だったのである。

壁だなんて大袈裟な、と思われる方もいると思うが、壁と言えるほどに難しさを感じたのである。
ただゾンビメイクしたり、ドンキで買った衣装を着こんで仲間と連れ添いながら写真撮り合っていれば楽しめる、そういう感覚でいれば壁なんてそもそも生じるはずもなかったのだが。もちろん、そういう楽しみ方もあるだろう。
しかし、頭の中に世界を広げてしまう人間としては壁が立ちふさがり、また消化不良としか言えない立ち振る舞いに終わった。

祭りの空気に浮かれ勇んで臨んだところもある。それだけに、そこから受けた壁の反発力は強力なそれだった。

キャラ(と言うべき?)を動かすうえでそのしぐさや言葉というのはキッチリと頭の中で確立していないとダメなのだなと。その辺の細部がイメージできていないと、ナチュラルに動けないしぎこちない動きになりがちだ。難しさと甘さを実感したハロウィンである。

だからこそ、改めて世界観を演出する大切さ、世界観を広げていく努力、その点に気が付かされたのである。

ただ子供たちに衣装を着させて写真を撮って楽しむスタイルなら気にする必要もない。
しかし、自分が背負ったモノは一つの世界なのだ。そこを充分に意識して作り込む感覚をもたないまま臨んだのは完全な失態としか言えないだろう。

観ている者も、目の肥えた人間がいたはずだ。下手な小細工など通じはしない。
観ている者は、そのキャラから発せられる世界をも楽しんでいるのだから。

そこが終わってからしばらくしてじわじわと感じている。
なんだかもどかしい気分でこの記事を書いている。

これからもし、何かになろうとする人が読者の中にいるのなら、十分に世界観を意識して取り組んでほしい。

外に対して表現するというのは、観ている存在がいるのだから。その存在を忘れていては満足できる世界は広がっていかないだろう。

 

 

 

2019年10月22日 (火)

創作と世界観

大川原さんに最近ブログを更新してないじゃないと指摘されたので、最近感じているあれこれを書き綴ろうかなと。

ここ連日、創作において世界観を広げる広げられるというのは創る側、観る側双方にとって重要なのだなと改めて感じている。
おそらく、自分が見ている世界を何が楽しいのか全くよく理解できないという人は、この『世界感』の段階で違っているのかなと思える。最近は種類はバラバラといえ、プライベートでは創作活動している人ばかりとしか交流していないので、不意に会社などでそうではない人に話を切り出して単調な反応しか返ってこない時に驚きを隠せない。

こんな素晴らしい作品にその反応?!

憤りが生じる。しかし、その反応こそ創作とは程遠い世界にいる人にとっては当たり前なのかなと。
逆に言えば、創作界隈にいる人というのは世界観を受容する装置が脳内のどこかしらに埋まっていて、それがビンビンに反応してやまないのだろう。

 

 

筆者が多趣味なのは、このブログ読者の方々なら理解していただいていると存じる。
相変わらず休みになると多様なイベントに足しげく通っているのだが。
そこでは、あらゆる世界の創作者と触れ合っているのだが、皆がそれぞれ、それこそ多様な個性を引き下げて来場者を楽しませようと試みている。

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(画像はマニアフェスタで出会ったメテオティアーズ with おきち)
キャラクターで表現する人たちもいれば、イラスト、もしくはマスクなどの形ある創作物など表現スタイルは本当にばらばらであるが、どれも筆者が惹き込まれてわざわざ時間とお金をかけていく価値だと判断できたものばかりだ。
しかし、ただその創作物の美麗さに惹かれているというわけでもない。
もちろん、どれも卓越した技術をもってして作られた作品であり、ただ外見を眺めているだけでも感心してしまう。
それだけであらゆる人を虜にしている作品も多い。
だが、それだけでは充分でない。
そこで必要となるのが、『世界感』、更には『文脈』である。


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(別所沼会館で行われた秋祭りでは着ぐるみたちもお手伝いで盛り上げた)

創作する上で世界観を大切にするのは当たり前のことである。
多くの創作者は作品を作る上で頭の中に何かしら独自の世界観が広がったからこそ作品作りを試みようとしたのではないだろうか。
自分が小説を書く上ではまさに世界感の広がりが始まりである。これがなければ始まらない。
しかし、多くの創作をやっていない方々はこの広がりが少ないのだと思える。だからこそ、優れた創作物を提示してもリアクションが少ないのではないだろうか。
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(マスクフェスであらゆる個性溢れた仮面をつけた人たちの集合写真)
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(マスクフェスでは筆者も少しの時間だけマスクをつけてみた)
 
 
先日行われたマスクフェスでも、あらゆる個性溢れる力作を眺めることができた。
このマスクもまた、見た者の頭の中に世界が広がってくる。
また、それらを付けた人々の全体的な雰囲気も、世界感溢れ魅力を放っていた。
筆者も、恐る恐る以前購入した仮面をつけてみたのだが、逆にその世界観で劣等感を抱くに至った。
生半可な気持ちでは世界観が出せずに魅力も微塵もない。
魅力溢れるキャラというのは、キャラ性がしっかりと作り込まれていて惹かれる部分があるのである。キャラに世界観が滲み出ていないと誰からも見向きされないだろう。
メテオティアーズも、ケモノ着ぐるみたちも、仮面愛好家たちも、その辺が卓越して来場者を虜にしていたに違いない。
せっかくの傑作作品を生かすも殺すも、使用者の努力ということである。

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(田中豪氏の個展『生きている部屋』が開催されていた)
  
 
田中豪氏の作品こそ、楽しむにはまさに『世界感』と『想像・妄想』を頭の中に広げることが大切だろう。
この方の作品を前にして、単に「グロテスク」「気持ち悪い・気味が悪い」とだけ言うのは簡単だ。
当然ながら、そんな感想だけでは何も語れていないし、作品を観たことにもならない。
世界観を感じ取ってこそ、作品を楽しんだことになる。
御覧の通りに、パッと見は確かにグロテスクな雰囲気だ。赤と黒を前面に出した作風は血と臓物を彷彿させ嫌悪するかもしれない。
だが、よく見てほしい。その作品の奥に潜むおぞましい『不安』を。
抗いがたい恐怖と沸き立つ逃走欲求を。
そう、この世界は恐怖と不安で成り立っている。
しかし、どうだろうか。作品世界の中に潜む『何か』は奴らの意思で迫りくることはない。
ただ、闇の中からじっとこちらを見つめるだけなのだ。
その意図が掴めない微弱な意思が、我々観ている者を不安へと放り込んでいる。
そして、その不安がやがては『快楽』へと変換されていく。
怖いもの見たさ……と表現すべきなのだろうか。
何かある、何かいる、何かしてくるかもしれない。全てが見ている者の勝手な想像でしかない。しかし、その想像が恐怖を掻き立て、その強い感情が刺激へと変換されていく。
それが、作者の魅力なのかもしれない。その不安で覆われた世界感に、我々は魅力を見出しているのだ。
 
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(少年を中心に大きな世界が広がっている様を描き出すイラストレータ NOEYEBROW氏 のサイン入り色紙)
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(氏のイラストは細かい表現が至る所にちりばめられている)
 
 
一転、急に明るいイラストを描く人物の紹介だ。
少年だからこそ持つ溢れる限りないエネルギーとそのエネルギーが起こす広がりある世界観を描き出す卓越した才能を持つイラストレーター。
それがNOEYEBROW氏だ。
氏の特徴は、少年だけではない。
読者の方々は、もうお分かりだろう。そう、『世界感』である。
氏のイラストはとにかくイラストの隅々にまで紛れ込まされている細かなギミックである。
例えば、上記の写真を見ていただきたい。
団地を舞台にしたイラストの一部である。団地案内板だ。
団地の建物を描くのは当たり前だが、この案内板までも紛れ込ませているのには脱帽する。
団地案内板など、団地マニアか団地住人くらいしか反応できないのではないだろうか。
しかし、キッチリとこういう細かいところまで描きこんでくる。この細かさがむしろ世界観を広げる役割を成している。
他にも、背景に大きく広がる真夏の入道雲や水のうねり、木蔭がもたらす涼しさや寂しさ、光加減で表現するぬくもりや冷たさ。
あげればきりがない。それら細部が少年がいる世界をうまい具合に演出し広げているのである。
だからこそ、多くの人間が彼の少年イラストの世界へと(頭の中で)足を踏む入れているに違いない。
 
 
どうであろう。幾つかの作者や場を上げて創作を楽しむ上での『世界観』の大切さを説いてみた。
くどいようではあるが、これは当たり前の話である。当たり前なのだが、創作に普段から触れていない人にとっては世界観が広がることはあまりないのかもしれない。なんでもない人に世界を説いても頭の中で広がらない限りは本当の魅力に気が付かないのかもしれない。
ふと、こんなことを多くの良作を短期間で眺めながら感じる筆者であった。

2019年6月16日 (日)

己が何者か、価値がどこにあるかを知らなければ勝負できない世の中だから

最近、『このまま今の会社にいていいのか? と一度でも思ったら読む転職の思考法』という本を読んでいるのだが、これが非常に示唆に富んでいて面白い。転職を考えていない人も一読の価値がある。

企業で働いている人にとっては働いている意味や自分の仕事の価値を再思考するのに非常に役立つだろう。

 

でだ、それを踏まえて色々と最近は思考が巡り易くなっている。
Twitterを利用して浮き上がる思考をとりあえず吐き出しているのだが、昨日の昼間もそれをやっていた。

「自己プロデュースにおいて重要なのは、当たり前な話であるが自分の属性・強みが何かを熟知し、どこにアピールすれば的確かをしてっていることだよね。 適当なところに撃っても響きはしない。需要と供給の関係を意識しないと。」

「逆に言えば、今いる場所で自分の本来の強みが有効活用できていないなら、早くその場から退場したほうがいいんだよね。 そして、的確な場所へ自分をアピールしないと。」

自分の強み、自分の特異なこととは? 仕事していても論理的思考によりプログラミングが得意だったり、業務効率のための改善案を思いつきやすかったり、手先の器用さから何かを作りだしたり、コミュニケーション能力で営業したりなどなど。
そういう自分の性格や特性を熟知してどの会社にいるかよりもどの仕事をこなすかを重視して仕事することにより自身能力を輝かせないとダメだなと実感する毎日である。

本の何用から考えると、更に市場自体が伸びている会社に転職すべきだとも触れている。
そうやって、自身を見つめなおして何を伸ばすべきか、何に専念すべきかを考えていかないとこれから先まともな給料を得られる人間にはなれないのだろう。単純労働はAIに奪われると脅かされる時代でもあるわけだし、老後の資金を自分で充分に溜め込まないといけない時代でもあるわけなのだから。
誰もがある程度の意識の高さを持たないとダメなのだな。

 

では、KKが持つ強みとはなんなのだろうか?
それはもう何年も前から考えているのだが、未だに答えが見つからず。
とりあえず、現状いる会社では輝くことは難しい。

もしかしたら、こうして思考を巡らしていることがいいのかもしれないが。

 

ところで、昨日の思考の最初のきっかけは、仕事ではなく自己プロデュースであり、自身の作品をどうやって広めればいいのかという視点から始まったのだけど。
つまり、自分の作品がどの市場に対して受けるのか、どのようにアピールすれば効果的なのかを戦略的に考えないと、いくら良質な作品を作っても知名度が上がることはないのではないのか? という疑問から始まったのだ。
この辺をうまくできていない人は多く見られるな。
うまくいっていても、たまたま周囲の需要を満たせていたので広まったという人も多いし。
みんな、もう少し戦略的に生きないといけない世の中なのではないか。

そういう思考が巡る休みの昼間であった。

 

2019年2月19日 (火)

架空だけど懐かしい?

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同窓会にあまりいい思い出がない筆者である。
初めての同窓会は高校のそれで、親しい仲間がほぼ見当たらず特に盛り上がりも見いだせずに、結局黙って途中で抜け出した記憶が。
そんな筆者だが、先日懲りずに同窓会に出席してきた。
と言っても、架空の同窓会だが。
 
『架空同窓会』というイベントに参加してきた。
同窓会なのだが、参加している人たちとはほぼ初対面である。
だが、同窓会なのだ。
なぜか、始まるや「久しぶり!」と声を掛け合った。
リアルな同窓会よりもなぜか陽気に立ち振る舞えた。
いや、懐かしい顔ぶれだな……。
懐かしい写真や思い出の品が詰まったタイムカプセル。
昔の話で酒がうまかった。
 
何のことやらわからないだろう。
何のことだか自分でも記憶のない話で盛り上がっていたのだから。
これは、架空読書会を開いていた高柳優氏の企画である。
会場はお馴染み、双子のライオン堂である。
集まった人間はほぼ初対面なのだが、架空の小中高一貫の『第三しし校』を同時期に在籍していたという設定でみんなが存在しない記憶を引っ張り出して思い出に老け込む企画である。
つまり、部活や恋愛・事件など、学校の思い出をその場の思いつきで語り合い、架空の学校の思い出をみんなで創り上げていく企画である。
もちろん、誰もしし校は卒業していないし、誰も同じクラスにはなったことがない。
だけど、みんなが思い出を共有している……つもりになっている。
 
みんな、集まるなり1人ずつ架空自己紹介。
筆者は、帰国子女でアメリカから転校してきた。現状は自分探しで世界を旅しているけど、同窓会のために帰国した、という設定。
他、竹田が二人いたが同じ野球部で二遊間を組んでいたという設定がすぐに出来上がったり、『窓際部』に所属していたという謎の部活が出てきたり。
そして、この窓際部という存在がこの企画を大きく引っ張っていくことになった。
 
なぜか、事あるごとに窓際部の活躍が語られて、よく分からない謎部活のままだったがアジア大会にまで出場するほどのレベルだったらしい。
ちなみに、大会はシンクロナイズドスイミングのようなソロやデュオ、団体などに分かれていてその芸術点も競われるらしい。どんな技が存在するのかは謎のままであったが。
 
個人思い出の他、下記のような企画が主宰側から提示された。
 
・卒業アルバム写真
・タイムカプセル
・第3位しし校の校歌
 
卒業アルバムでは、フリー素材から提示された写真を元に参加者がそれぞれ思い出を語る。言ってみれば、『写真でボケて』である。
謎の応援おじさん二人組が現れたり、気合で男子を吹きバス女子が現れたり、そこからも謎設定が多く生まれた。
また、その設定を利用して、遅れてきた女性に「この男子飛ばした人って君だったよね?」など駆けつけのボケを要求したりなどの無茶ぶりもした。
 
タイムカプセルでは、参加者がそれぞれ不要なものを持ち寄り缶箱に仕込み、カプセル開封といういでたちでイベント途中に開きそれぞれのモノにまつわる思い出を語ってもらった。
 
更には、なんと校歌まである設定に。
その場で 5・5・7 や5・7・7 などのフレーズに合わせて言葉を考えてもらい制作。
以下が校歌の歌詞である。
 
------------ 
あのマドベには キミガイル
共に学びし 若人ら
うれしい時も かなしい時も 大きく学べ
小中高 一貫教育だ 第三しし校
地下にひしめく 同好会
しし校とはいえ いみじくも…
偉大なる 生徒たち 心ひらいて
がいこつも まどべでわらう だいさんししこう
------------
 
校歌らしい歌詞と言えばそうだが、マドベだったり地下にひしめくだったりがいこつだったり……イベントに出てきたキーワードがちらほらと混じっているのが企画らしさなのだなと感じられる。
 
どうであろう、この謎の第3しし校。
少しは気になっただろうか。
いや、しし校ではなく企画そのものが気になっただろうか。
かなりダイナミック且つ大胆なアイデアが試される企画だが、取材に来ていた某局の人たちも巻き込まれて学校卒業者にされたのだからたまったものじゃないだろう。
しかし、そういう大胆さと奇抜さを楽しめる人にとっては本当に面白企画であったはず。
みなさまも、気になれば是非参加するか企画してみてはいかがでしょう。
 
筆者は同窓会というイベントをようやく心から楽しめた気分である。
みんな初対面であり出身も年齢もバラバラだったはずなのに。
打ち解けあうというのは時間も場所も関係ないのかもしれない。

2018年12月26日 (水)

六本木白昼夢 ~そのOLは本物

六本木白昼夢 ~そのOLは本物~
 
そんなタイトルの本をご存じだろうか。
知らないはずだ。
決めつけるなって?
いやいや、おかしいだろ。
知っている方はどうかしている。妄想癖でまみれているのかもしれない。手遅れにならないうちに早く病院の門を叩かないと。こんなブログを読んでいる暇はないぞ!
 
なんて冒頭から大袈裟に煽ってみたが、実際にこのタイトルの本を読んだことがある人はおそらくいないだろう。なぜなら、筆者が適当に浮かんだ単語をつなげて作り上げたタイトルなのだから。
つまり、この世にはない本のタイトルなのである。
読んだことがあるという方は、偶然にも自分でそのタイトルの本を作り上げた方か、それこそ白昼夢でも見ていたのだろう。
 
架空読書会というイベントはご存じだろうか。
架空というから、また実在しない企画でしょ?
なんて疑うかもしれないが、これは嘘でも騙しでもない。実在する企画である。既にラジオや新聞などのメディアでも取り上げられたことのある企画だから、名前くらいは知っている人もいるのでは。
このイベントに、去年から何度か参加している。
今年2月(12月にも)にも、このイベントに筆者自身が参加してきた。
 
 
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読書会というからどうしても普段本を読まない人は構えてしまうかもしれない。
本を読まない人が増えている昨今でなお読書をし続ける人はよほどの活字中毒か頭がお難いのではないか。そういう印象があっても仕方ないが、このイベントに限ってはそのイメージとはかけ離れている。なぜなら、読書をしていなくても参加できるからだ。本を一文字も読んでいなくても参加していい読書会なのである。
必読の課題図書はない。
 
イベントのルールは簡単。
参加者はまずこの世にはない(だろう)本のタイトルを考え、順にそのタイトルを提示していく。タイトルを提示された参加者は、それを読んできたと仮定して、その本について思いつくままに感想を述べだす。基本はそれだけだ。
ただし、誰かが何かの設定を述べればそれはもう否定できない。
たとえば、最初に切り出した人が「壮大なスペースオペラだったよね」と言ってしまえば、その小説は六本木がつこうが秘湯とつこうがスペースオペラの内容になってしまう。
「そんなはずはない!」と相手の意見を否定することはできない。先に述べられた設定は絶対なので、後から続ける人はそれに乗っかっていくしかない。それだけを守ればいいのだ。
あとは制限時間以内にみんなで思いつくままの設定を語ればいいだけの話である。
 
単純明快なルールだが、何度かやってみると意外と奥が深い企画だというのが分かる。
集まった人によっては、まじめな批評気味に語ったり主人公の行動の裏側を読んだような分析をしてみたるする人もいれば、冗談を交えながら緩い方向へと持っていく感想を述べる人もいる。緩い展開はどちらかといえば大喜利ネタな方向に寄りがちだ。だから、読書家よりもハガキ職人の方が展開によってはこのイベントで活躍するかもしれない。
もちろん、読書家が集まればタイトルに隠された意味を読み取ったり実は主人公は女性の名前のようで男性であるなどのトリックを考え付いて紛れ込ませて複雑にしたりなどのテクニックを仕掛けたりもしてくる。だからこそ、集まった人間によって空気が変わるイベントなのである。
 
よくある展開は、映画化しがち。舞台がタイトルから与えられる印象とは離れがち。実在する人物がでてきたりも。タイトルから与えられるイメージをそのまま流用することもあるが、結構飛躍するパターンも見受けられる。六本木でも、実在の六本木とは違う場所に設定される、みたいな設定もしばしば。
だからこそ、参加者の想像力……いや、妄想力が試されているのかもしれない。
その都度、参加者が違い別々の妄想力が加わるので参加者によりイベントの空気が変わるものおもしろい。
なによりも、手軽にその場で開けるのは魅力的な企画だろう。
なにせ、本を読まなくても開ける読書会なのだから。
 
必要なのは、あなたのタイトルから広げられる妄想力。
ただし、妄想が行き過ぎると架空の本から出られなくなりますよ。
病院の門を叩かなくてもいいように、ほどほどにして現実の本も読みましょう。

2018年12月13日 (木)

イヌも歩けば絵にもなる

iPhoneが世に出て10年は過ぎた今、スマフォ復旧率も増えて街中では多くの人がその手のひらサイズの画面に目を落としている姿が見られる。
使用歴も、もう何年にもわたってという人も多いだろう。
そうなると、その端末には多くのアプリと情報が詰まっているはずだ。生活ログのような記録も多いのではないか。
LINEのやり取りから、各種SNSにアップしたつぶやきや写真などは多岐にわたるだろう。
そういう筆者も、多くのアプリを入れ日々多くの情報にアクセスしている。
そんな中で、何気なく自分独自の端末に記録された過去の情報に触れてみた。
過去といえども、今年一年程度の期間であるが。
それが、スマフォで撮影した写真である。
今年も多くの場に出向いて、多くの対象物を手軽に撮影しスマフォに記録してきたのだが、こうして眺めてみると本当に多様な場に出向いていることが分かる。
多趣味であり多くの場に出向いて多くの情報をこうして取り込んできていただけに、改めて見て思い起こすことも多い。
 
ということで、自分のスマフォに記録されていた写真を月ごとにピックアップしていき、自分の趣味や活動範囲を振り返りながらこういう趣味の世界もあるのだなと読者の人たちにも紹介してみたい。
かなり多様な世界を紹介できるはずである。
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最初の写真はこれだ。つまり、2018年1月に撮った写真である。正確に言えば、写真というよりもスマフォアプリのスクリーンショットであるが。
画像を見て何に見えただろう?
地図の画像であるのは確かだ。間違いではない。
馬込や大森という地名が読み取れるところからして、東京都大田区の一部の地図であることもわかると思われる。
しかし、地図そのものが画像の本質ではない。
その太い線によって描かれたあるモノがその対象である。
少しわかりにくいかもしれないが、オレンジで描かれた線をじっくりと眺めてほしい。
これは……
 
 
 
そう、『犬』が描かれているのが分かるだろう。
勘のいい人は分かったかもしれない。
2018年しょっぱなに犬の絵。
そう、今年の干支である戌なのだ。
そして、これは2018年1月7日に筆者含め数十名の人間が大森や馬込、山王一帯を歩いた道のりの記録である。
 
大山顕さん発起人となり、何年か前から企画されたイベントである。
GPSロガーや歩いた道順が記録されるアプリを起動させながらひたすら都内の一角を歩き回って、地図上にその歩いた記録でその年の干支である動物を描こうとしていた。一月、そのイベントへ参加してきた。
その結果の写真が上記のそれだ。
 
見ての通り、犬に見える記録が地図上に浮かび上がっている。
歩いて分かったのだが、山王や馬込はかなり起伏が激しい地域である。途中、坂や階段を上がったり下がったりしながらの激しい道のりを突き進んだ。また、住宅地のために時に何十人もの人間が路地裏をゾロゾロ歩く珍光景が見られたりもした。怪しい集団に見られていたかもしれないが、幸いなことに通報される事態にはならなかった。(住宅地なだけに静かにするなどの注意を計らうことは忘れてはならない)
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ちなみに、これは確か約2時間半歩いた。出だしと到着時の写真をたまたま撮っていたので、その記録から読み取れた。
こういう記録もまた、スマフォ内に刻まれている。
たまにスマフォの記録を振り返るのが面白い証拠でもある。
起伏が富んだ道のりを2時間半歩くというのはいい運動である。また、途中馬込にまつわる文士への記録などの発見もあるなど、地域散策としての面白さも詰まった企画であった。
観光を目的とした散策も面白いが、たまにはこういう変化を加えた散歩をやってみるのも面白い。
干支を描かなくても、普段歩かないところをちょっとはやってみるのもいいのではなかろうか。新しい発見があるかもしれない。
ただし、住宅街の散策は住民の迷惑にならないようにご注意を。

2018年11月 4日 (日)

日本のハロウィンは文脈を読み取れるかどうかで楽しみ方が違う

10月31日はハロウィンであり、その数日前からあらゆる繁華街で大勢の仮装した集団が繰り出していた光景を見かけたのではないだろうか。
日本ではすっかりと異国の季節イベントが根付いてしまったわけだが、その楽しみ方もすっかりと本家とは離れたところでアレンジし独自の文化に仕立ててしまっているところが日本人らしいと言えるのかも。
川崎や池袋のハロウィンはその参加者数と空気感からして、異国季節イベントではなく日本人の仮装イベントとして定着してしまったのだな。
すっかりとテレビやネットの話題を持ちさらった渋谷ハロウィンだけは別視点でとらえなければならないのだが。
もはや、この手の文章は幾らでもあらゆるところで読んだ人が多いと思われる。筆者もネット上で個人ブログからビジネスニュースサイトまで色々と識者の視点を読み漁っていた。
今更批判どうこうしてもしょうがないのだが、やはりマスメディアのあおりを受けて調子に乗って渋谷まで出向いた若者が多いという指摘は頷かざるを得なかったのでその点は軽く触れておきたい。幾つか推測があったのだが、バカ騒ぎした若者ほど実は普段は渋谷で遊んではなく、もっと郊外の遊ぶ選択肢が限られた場所で滞留しているような輩ではないのか、というものだ。今の渋谷を主戦場にしている若者の属性がどういうものかは知らないが、この推測はどこかなるほどと納得できるものであった。そんな燻った田舎のヤンキーをあおるような行為はほどほどにしなければ来年もまた荒れるに違いない。
さて、もう一気になる指摘を見つけた。
大山顕氏の
『渋谷のハロウィン騒動について思うのは、あれは高揚ではなく焦燥の結果ではないか、ということ。トリックオアトリートがないハロウィンはやることがないので、なにか成果を求めてしまったのではないか。』
というツイートからの、コスプレはハイコンテクストな文化、という指摘である。
なるほど、と今回何度も頷いているのだが。
つまり、川崎や池袋で見られたような本格的仮装はその裏側に潜む文脈を読んでこそ楽しめる文化なのだな。
まあ、家族でディズニーキャラになる風景もある意味ではその文脈を読み取り楽しめると言えば楽しめるが、それはまたハロウィンとは別の話になりそうなので。
本格的仮装をし、その文脈が捉えられる人間も巻き込んで大いに楽しめるのか。それができるのがコミケや川崎ハロウィンなのだろう。
そういう文脈を楽しめない人間が、ただ盛り上がるという部分だけを求め掬い上げてはしゃいじゃったのかも。
さて、最後に川崎ハロウィンで撮ったハイコンテクストな仮装写真を見て皆で楽しんでいただければ。
Asana_20181028_1
Asana_mito
Kawasakih_4
Kawasakih_2
Kawasakih_1
Kawasakih_3
Kemono_4
Kemono_2
Kemono_3
Kemono_1
 

2016年12月 4日 (日)

転売という行為は、作家への応援を遮断する

先日、もはや大型イベントの一つとなった、日本のアート界隈ではお馴染みのデザインフェスタが開催された。
デザインフェスタに関しては、この記事では省略する。
簡単に触れておくなら、年2回開催される海外も含めたプロアマ問わないアーティスト界隈の祭典である。即売会の要素が強いが、もちろんパフォーマンスもある。

そんなデザフェスで一つのトラブルが生じて話題になった。
それが、『転売問題』である。

恐らくは、盗作含めてこの界隈ではデザフェスに限らずどこかしらでちょくちょく起きている問題なのだろう。
で、その問題に筆者も巻き込まれる形になったのだ。
そのため、今回は『転売』についてちょっと考えを巡らしてみた。

問題になったのは、とあるぬいぐるみ作家さんの作品をネット経由で手に入れた人物が、作家さんには無断でデザインフェスタを利用して売りさばいていたということにある。
この作家さんのあずかり知らぬところで、我が物顔で作品を売る人間が現れた事実が大問題と化したのだ。

で。ネットで『転売』に関して検索すると既に昔から存在する問題のために多くの人間が色々な角度から検証している。
・詐欺にあたるのか 
 → そこに悪意(営利目的)があっての行為なのか
 → 仕入れ値より大幅な高値を付けているのは許せないという感情問題
 → ネットオークションでは、代金振り込んでも商品が届かないなどの分かり易い詐欺がある
・転売という行為そのものはそもそも世の中至る所にある(代理店など)
・古物商の資格はあるのか
などなど……
調べてみると、やはり グレー な部分が浮かび上がってきて何とも言えなくなる問題であることが窺えてくる。

しかし、気になるのは『倫理観』の視点から見るとどう捉えられるか。
やはり、俎上に載せるべきはここに至るのかなと。
多くの人が転売許せないと感じるのは、この倫理観から腑に落ちないためだろう。
とくに、扱われているのが、企業が売る商品でなく、個人が作った作品である点だ。

作家さんが丹精込めて作った作品を、その人とは関係ないところで無断で利用して利益をむさぼるという行為。
つまり、大本の作家さんは転売屋の利益取得にまんまと使われた格好になる。
これは憤っていい問題だろう。
資本主義社会において、この行為は問題ないのではないかと問う人も現れそうだが、倫理観重視で考えるとやはり許せはしない。

もし許されるとしたら、やはり正規代理店のような形で大本の作家さんが許したときのみだけではないだろうか。(それでも、買手は不当に高額な対価を払うことになるとも受け取れるが)

特に気にすべきは、デザインフェスタという場で行われたという点だ。
デザインフェスタという場の価値を考えていただきたい。
作家と作品、そして買手・作家のファンを(ほぼ)ダイレクトにつなげる場であるという点だ。
買手は作家と時に直接話しその苦労話や作品の見どころを聴きながら作品への理解を深め、時に購入に至るわけである。
その行為は、作家の作品に惚れ込んだ、作家自身の誠意にやられた、作家の人柄を気に入った……などなど、あらゆる肯定的な欲求により突き動かされた行為なのだ。
その根本的なところにあるのが、その作家を応援したい、もっと良質な作品を拝みたいという欲求からではないか。
買うという行為そのものは絶対的な応援なのだ。

それが、『転売』という形を挟んでしまうと無駄になってしまう。
なぜなら、その買手の行為や思いは直接作家には届かないし、間接的に届くことも難しいからだ。
結局、転売で本当にいい思いをするのはその転売で利益を得た人間だけなのである。
確かに、買手側には作品が残るには残るが、もしそれが転売と知った場合(筆者がそうなのだが)、なんだか微妙な気持ちになる。
筆者の場合、今回は完全に節約モードに入ってデザフェスに臨んだにもかかわらず、問題になったいた作品が目に飛び込んできて完全に『一目惚れ』してしまい、結果衝動買いしてしまったのだ。それぐらい感情を突き動かす魅力がその作品にはあり、そんな魅力を込める能力を持った作家さんは称賛に値すると言える。
その作家さんの作品を『転売』という形で購入してしまっては応援できていないに等しいのだ。
(皮肉にも、騒動で有名になってしまったのだが)

もう一度考えてほしい。
アート界隈における作品を買う(買わなくても、素晴らしいという意思を示す)という行為は、その作家さんを応援する意味も含まれている。
『転売』という形は、応援を遮断する行為に当たる。
それを踏まてデザインフェスタで転売をするとはなんなのか考え直してみよう。

2016年11月 3日 (木)

待望の黄色いドラゴン、ぐれキャラとして降臨

最近の地域イベントというのはどこも規模が大きくなりその活況も年を追うごとに街イベントとは思えないほどの規模になっているように感じられる。
特に、都内で行われるイベントはどこもその人口規模を活かしてすさまじい勢いを見せている。
駅に降り立った時から既に人ごみで圧倒される思いになることもしばしば。

そんなイベントの一つにあるのが、先日10月29・30日両日に行われた高円寺フェスであろう。
このイベントも年を追うごとに活況が大きくなり、地域イベントの域を超えてきている。その日は駅中心に街全体がお祭り騒ぎでどこに行っても何かしらのパフォーマンスが見られた。
小屋に入らなくてもストリートで誰かが何かしら見せてくれるのだ。

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その一人……いや、その一匹として参戦していたのが、シャングリラドラゴン・ヒョウガくんである。
このドラゴン、ジャグリングを得意とし、主に浜松を拠点として活動している。
ぐれキャラとしての参戦表明も掲げていた。
半ばぐれキャラ追っかけの筆者はTwtter上で知った存在なのだが、ぐれキャラとなると追わざるをえない。
しかし、活動が静岡中心のためなかなか実際のパフォーマンスをお目にかかれる機会がないまま時間が経っていた。

だがだ、そう、だがだ……ついにその時はきた!
この度ついに念願の機会が訪れたのだ。
ヒョウガくんが高円寺に現れたのだ!

ということで、ほぼヒョウガくんを目的に筆者は高円寺まで急いで飛んでいった。中央線で。
(ヒョウガくんもドラゴンのくせに車で東京まで来ていた。背中の翼は小さすぎるか?)

以下、写真中心にヒョウガくんのパフォーマンスを紹介する。

 

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午後になり、高円寺も街全体が熱くなった頃、南口に一匹の黄色いドラゴンが現れた。
そう、彼こそが、筆者念願の黄色い餃子……ではなく、黄色いドラゴンのヒョウガくんだ!

駅前バス停乗り場脇に現れると、さっそくドラゴンマスター二人を引き連れて手際よく準備を始める。

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その間、元ぐれキャラの骸さんとの初遭遇などもあり、

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怪人カメレオールもいつの間にかあらわれて、場が混沌してきたもののパフォーマンスは始まっていきました。

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ジャグリングのパフォーマーといえば、パフォーマンス中の話術も重要なポイントになってきますが、ヒョウガくんは人間の言葉を発することができません。
したがって、上で示した写真の通り、自作テロップで表しています。
ファミコン風なのがポイント。
内臓がファミコン世代……。

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まずはウォーミングアップのパフォーマンス。
ブロックで作った傾斜に球を転がして、素早く取り上げていく。

地味なんじゃない? という声を感じ取ったのか……

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パフォーマンスのレベルが上がっていきます。
ちなみに、このパフォーマンスに筆者も突発参加。
タイミングに合わせてヒョウガくんに向かってこのオレンジのボールを投げると、そのまま流れ良くリズミカルにボールを回し始めてました。

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ドヤッ!

でも、色々やっておりましたが……

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最後はやってくるものです。

最後にやったパフォーマンスは、

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シガーボックスです!
しかも、テトリス型!
箱を宙に投げて、宙に放り出されている最中に箱の位置を入れ替えたりするパフォーマンスですね。

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これにて終了!
途中、設備の不調でBGMがなくなるハプニングもありましたが、何とか乗り切りました、

……とおもいきや?

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なんと、骸さんからアンコールの声が!
急遽、もう一パフォーマンス追加です。

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アンコールの声に応えて、ディアボロ!

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以上がヒョウガくんのこの日のパフォーマンスでした!

KKの総評

様々なぐれキャラを見てきたけど、これほどまでにダイナミックなパフォーマンスをする系統は初めてで、ぐれキャラとしては新鮮な目線で見られた。
また、ジャグリングをはじめとするパフォーマーが群雄割拠する中で、キャラ立ちするというのは非常に重要。となると、この黄色いドラゴンはまず印象に残る。
そういう点では強いなと。

ただ、上記にも軽く触れたが、ジャグリングはトークもまたパフォーマンスの一つだと感じられる。今まで何人か見てきたけど、トークの盛り上げ方がうまい人が多い。
そういう点では、この人間の言葉が発せられないというのは大きく不利に傾いているなという印象も受けた。
フリップを用意してもあるけど、それは事前に用意されたモノしかないのでアドリブにはものすごく弱い。
この点をいかに攻略するか。
喋られる、トークがうまいアシスタントを(それこそドラゴンマスターというキャラ設定で)つけておく工夫があると面白いかもしれない。

では、最後に他のぐれキャラとのショットを載せて終わらせよう。

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2016年9月11日 (日)

「#ラノベの仕事したい」持ち込みオフライン交流会 ~第2回~ を覗いてきた

「#ラノベの仕事したい」持ち込みオフライン交流会 ~第2回~

というイベント開催情報を掴んだので、去年の記事で紹介したワトウ氏と一緒に参加してみた。
このイベント、第2回目なのだが、実は筆者は第1回目もワトウ氏とともに参加していた。
その時の比較も合わせて、例によってTwitterの感想ツイートと一緒に軽くイベント内容を振り返ってみたい。
今後、ラノベの仕事がしたいと目論んでいて尚且つこのイベントに興味を持った人に届けば幸いである。

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始めに、イベントの流れを軽く触れておこう。
イベントはほぼ自由スタイルである。
参加者はそれぞれに『物書き』『イラストレーター』『編集・その他』と振り分けられ、それぞれに青・赤・黄の色分けされた紐がついた名札(名刺)を首からぶら下げて会場にたたずむ格好になる。
つまり、その色でその人がどの立場にあるかを軽く見分ける形になる。
イベントが始まれば、みんなその色から判断してそれぞれに目的の人へ話しかける。
といっても、もちろん編集の人間がターゲットになるわけで。
つまり、物書きやイラストレーターは黄色い紐を下げた編集を見つけ出して話しかけ、それぞれの作品をその場で提示して交渉する形になる。
話が進むようならば、個別のスペースや部屋も用意されていて、そこでじっくりと話し合う。
交渉といっても、もちろんここでいきなり具体的ビジネスな話に発展しているわけではない。自分は交渉の席に座ったわけではないのだが、恐らくその会社(レーベル)が求めている作風とは、仕事の流れはどのようなものか、などの説明に終わっているのだろう。もちろん、作品への意見を貰っている人もいるだろうが。
第三者目線で印象を書くにすぎないのだが、お互いが(特に編集側が)手探り状態に見えた。

当然、編集の人間もそれほど多くないので、待ち状態の人が多く生まれる。そういう人たちはそれぞれに何となく話し掛けあいながらそれぞれの事情を伺い合う。

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会場の真ん中には、写真のような駄菓子が置かれていて自由に食べらる。

第2回目の特徴として、別室にて新進気鋭のレーベルが個別に企画の説明会を開くこともあった。
筆者は参加しなかったのだが、こういう流れはこの企画全体を特徴づけるものとしては興味深い。
そのレーベルのイベントに対する本気度もうかがえるというものである。
(正直、1回目は編集側のやる気は疑われるレベルの印象)

流れを軽くまとめると

・主宰からの挨拶‐説明
・ホワイトボードに参加者は名刺を貼る
 →机にはそれぞれの作品サンプルを置く(閲覧自由)
・紐の色を見分けて編集への交渉と参加者同士の交流開始
・編集との話が進めば別室で交渉
・編集側の全体説明会開始
・お菓子食べてジュース飲みながら談笑
・閉めの挨拶

これに加えて、希望者にはスクリーンに自分の作品を映しながらアピールすることもできた。
前回あった、ライターなどのトークショーは完全に省略。

以下、筆者ツイートから

〇 今日のイベント、正直書いてしまうと出版社側の参加が少なくやや物足りない印象があった。 自分の立ち位置的には第三者なので多かろうが少なかろうが関係ないのだが、仕事狙っている人には消化不良な部分もあったのではなかろうか。

〇 ただ、交流会という側面から覗いてみると面白い。 小説側からしても文フリには参加しないような人が多めで、そういう人たちの感覚や傾向が窺い知れた。(特になろうなどのWeb中心にやっている人たち) Web中心だと普段直に交流することが少なくなるので、こういう場は貴重とも捉えられる。

〇 今回から現れたのは、出版側の個別説明会。 ゲームブック関係の人が別室に興味ある人を集めて企画の説明をしていた。 ただ、自分は参加しなかったので詳細は書けない。

〇 個人的な要求は、後半ゆるくなった時間には椅子を持ち出して欲しい。 何時間も立っているのは辛い。

〇 次回、1月後半か2月にあるそうなので、興味がある人はどうぞ。 仕事に結びつくかは不明だけど、交流という意味でもおもしろい企画です。

〇 あと、 交流会 としての要求としては予め個々人のプロフィールが簡単にでも分かるようにしてくれれば。 一覧表が出ていれば後にも先にも便利。

〇 という話を、スタッフの岩上さんに話せばよかったか。

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総評
前回のイベントでは、ファミ通文庫などのレーベルも参加していたものの、今回は有名どこはほぼなし。全体的にも編集として参加している人が少なく、本気で仕事探していた人には物足りなかったのではなかろうか。
その代り、立ち上がったばかりの出版社から何人か参加していて、その方々は逆に本気度をうかがい知れた。立ち上がったばかりという点が気になるものの、本気度では1回目で消え去った編集とはまず間違いなく違うだろう。個別に説明会を開いていたのはこの方達だ。
出版社がうまく軌道に乗れば、このイベントから仕事に結び付けられる人も出てくるのではなかろうか。そういう意味でも、この出版社自体にも注目してみたい。

個人的には、いわゆる なろう系 の人たちを中心としたWeb系の物書きが多く参加しているのが印象的であった。文学フリマでもWebで発表している人は多いが、やはり主戦場は同人誌の人たちだ。そうではなく、Webのみでの活動をしている人たちと触れ合えたのは興味深い。まあ、だからといって特別何かが変わるわけでもないのだが。
新人書を受賞しているような作家も普通に混じっていたのも面白い。
デビュー済みの人とも交流できるという意味では<交流会>としての意義はあるのではないだろうか。
今回は、前回からの反省からか<交流会>という意味合いを強めていた印象はある。
聴いている人が少なかったトークショーを完全に省き、時間もやや短縮。
(前回は、編集側と交渉している間にトークショーが開催されていて、参加者はトークショーどころではなかった)
その代りに、交流会後はアフターも用意していた。(筆者参加せず)
そこで酒を交えながらより深い話をできた人もいるはずである。
どこにイベントの中心的要素を見出すかは重要である。
ただし、<交流会>を望んできている人がどれほどいたかは不明。
やはり、編集側との交渉を望んでいる人は多くいたはずであるから、次回はもっと編集側の人間の参加が望まれる。

あとは、このような交渉ごとに慣れていない人も多いと推測される。
誰か、事前に基本的心構えというか、流れや準備しておいた方がいいアイテムやセールストークなどをレクチャーしてくれればありがたいのではないだろうか。
経験者、フォーマット作成を望む。

営業経験者なら、スクリーンにパワポで作ったプレゼン資料風の映像を流しながらアピールしてもいいかもね。自分のイラストを採用することにより、御社にはこれだけの利益をもたらす、みたいな。
もしくは、その代役を誰かに依頼してみるとか。

長くなりそうなので、この辺で閉めよう。
他の参加者も、気が付いた点や要望は主宰者へアピールしておいた方がいい。
第3回もあるのだから、改善点として考慮されるかもしれない。
主宰の岩上さんも生もの声が貴重だという意味合いの言葉をおっしゃってたので。

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