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2017年11月29日 (水)

観劇 『Carbon Copy』

『表現する』と言われれば大抵の人は、いたく興味を惹かれた対象を絵で描いたり、その時の激烈な感情をメロディーに乗せてリズムカルに歌い上げたり、言葉だけで訥々と社会性ある問題を語ったりみせる光景を思い起こす人が多いのではないだろうか。

一概に表現すると言われても、その手法は多岐に渡り、表現者たちもそれぞれの手法で(ときに共演もしたり一人で他者作品を組み合わせたりもしながら)何かしらの対象を表現するものである。十人の表現者がランダムに集まれば、十の手法が揃う可能性だってある。

表現するという行為はそれほど多岐にわたり手段が見出せ、それぞれの個性がそこに現れる。だからこそ、いかにして表現したかを観察することもまた人間観察に繋がるのではないだろうか。

 

仮面劇 『Carbon Copy』を観劇してきた。芝居なんていつ以来だろうか。

いや、即興劇ならばオトギユーギを見ているからそれほどの期間が開いたわけでもないが。

表現することに特化した芝居となると、いつ以来だかわからない。むかしは演出家の人と関係があり芝居はチラホラと観に行ったものだが、その人と縁が薄れると足がすっかりと遠のいてしまっていた。

すっかりと芝居を観る感覚をなくしてしまいながらも、筆者は横浜の黄金町で降り、これはよく通う映画館『ジャック&ベティ』の斜め向かいにある箱『若葉町ウォーフ』へ赴いた。

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仮面劇 『Carbon Copy』 のフライヤー

仮面劇と言われても、読者の方々もなかなかはっきりとその内容が想像できないかもしれない。中には、仮面舞踏会のように観客側も仮面着用が義務付けられているのかと想像する方もいるのではなかろうか。もちろん、仮面着用の義務はない。実際観衆側でつけている人もいなかった。筆者としての感覚は、観衆側もまた全員着用していた空間であればそれはまた大変興味深い光景であり、その空間そのものの意味合いもまた違った何かが生じたであろうが。それは求めすぎである。

とはいえ、それほど複雑にとらえる必要もないのだが。字面通り、役者が仮面をつけて演じる無言劇である。

あとは音と小道具、そして照明と役者の動きで表現される。

構成は、車イスの年配者とその子供と思われる付き添いの若者、更には看護師が、病室内で年配者の着る衣服に絡めたやり取りを展開させるのが中心。この親子(?)にある関係性・感情が恐らくは物語の中心と考えるべきだろう。
その悲哀をはらませる病室シーンへ、そわそわさせるような音楽とともに強引に割り込んでくる若者たちの悪乗りにも見える戯れシーン。

更には、二人組みのダンサーによる、ときに哀しく、ときに愛溢れる舞踏。

その三組が舞台構成を担っている。

仮面は登場人物の内面に隠れる何かの象徴、と深読みする必要もない。

いや、実際はそういう意味合いを込めての演目なのかもしれないが、とりあえずは仮面劇とは何かを単純に考えるとそういうことだ。

では、なぜ役者たちはそれぞれに仮面を装着し、素顔を隠して演じたのだろうか。役者がナチュラルに持つ個性溢れる『素顔』をあえて隠すことにどのような意味があったのだろうか。

〇〇さんという役者が既に持ったイメージを払拭するため? 

逆に個性溢れる仮面が放つイメージを役者に上書きするため? 仮面が持つ別次元のペルソナを授かるため?

個性そのものを打ち払って、誰でもないその他大勢に化けるため? 皆が『その他大勢』というなんでもない人間の代表になるため?

ここも観衆側の受け方にゆだねられる部分があるのだろう。筆者としては、その少し歪でもあり、反面どこかしら滑稽でもある個性あふれる仮面が使用されている点が気になった。
この仮面劇に使われた仮面は、どれもデザイン的に整えられた仮面ではない。どの仮面も、表情を極端なまでに強調されたような過剰とも言える仮面なのである。

そう、この芝居では整えられた『きれいな』仮面ではダメなのだろう。能面やベネチアンマスク、プロレスマスクなど仮面といわれるものは世の中多種多様に溢れているが、それらきれいに整ったデザインをされたマスクでは効果が薄れたような気がしてならない。

逆に、そのひん曲がった個性がどこか大衆を表現しているようであり、行き着く先が個性そのものまでをも打ち消して誰でもない何者かへと役者陣を導いてきたのではなかろうか。

そう、舞台上で立ち振る舞っていたそれは、誰もが皆その他大勢だったのかもしれない。

どこにでもいる誰かがどこかできっと行われている日常を演じていた、そのようにも見えていた。

誰もがどこかしらで見かける、哀愁溢れていて暴力的でコミカルで、それでいて愛が滲んでいる日常を。

例えば、バス停で椅子に座ってバスを待ち続ける年配者の会話を聞くともなしに聞いていたり、電車ではしゃぎだす子供たちをしかりつける母親を見るともなしに見ていたり、カフェで一人読書で時間つぶしするOLが持つ本の表紙を盗み見たり。そんな何気ない日常でちらりと見え聞こえているものの決して自分の人生に大きな影響を与えることもない光景。そんな光景が仮面をつけてやってきた。
そんな何気ない日常に溶け込んでいるどこかの誰か、そのほぼ全ての人に、社会に対して影響を与えることのない小さいながらも、感情が一杯つめこめられた人生。その日常と誰でもない誰かと小さな社会につめられた感情、それらがその仮面に付与されている。スペシャルな何者かのペルソナが宿っていたのではなく、誰でもないペルソナしかそこには宿っていなかった。

だからこそ、あの歪で滑稽な仮面が効果を果たしていたと思えてならない。
決して無ではなく、整然とした世界観でもない。
その他大勢ながらも、そこに人間性はしっかりと備わっている。
筆者からすれば、そういう意味合いがあの仮面から感じられたのだ。

そういうどこにでも溢れるような日常を感じ取らせたこの芝居は、仮面を通して人間を表現しつつ人間への多大な関心と愛を感じさせる作品なんだなと感じさせられた。創作者側が、いかにしてあえて平凡なる人間という素材を表現するか、そこに挑んだのではないかと思えてならないし、スペシャルな人ではなく、平凡な人間をも愛そうとする意思が垣間見えた。

そして、改めて表現するということはそもそも人間に関心を寄せ人間に愛を抱かなければできないのだなということも実感させられた作品でもある。

表現するということは多岐にわたり、また表現の対象も多岐にわたる。

何気ない日常の何気ない光景を表現するのもまた、表現者の心意気であり面白みでもある。

「表現することって面白い」



改めて気が付かされる一日であった。

2017年3月26日 (日)

第4回マスクフェス 異形たちに紛れ込む快感

とりあえず、KKが撮った写真をアップしておきます。
大体がTwitterでアップしたそれの再掲載になります。

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まず、なんといってもこの多面体で出来上がったミラーボールのようなマスク。
製作者はkemuriworks の煙さん。
これがマスク?! と初見の人は感じるかもしれませんが、これがかぶれるのですね。
実際、会場では多くの方がかぶっていました。
まずはその写真から。

C7rgdlivaai3rbrjpg_large
まずは異形商店 倉戸みと さん。
写真でもわかる通り、この多面体は中が透けて見えます。
もちろん、中からも外がくっきりと見えます。

C7rriibvaaarlj8jpg_large ミラーボールのイメージからサタデーナイトフィーバー!
(開催日は日曜日の昼間でしたが)

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狐阿弥堂の雲恵さんもイベント最後に。

Mask20170319_02
通りかかった親子連れも。
女の子もよく分からないままにかぶってくれた。
(反射してそばにいた人の顔が多面体に映っていたので、写真に修正を入れる)

Mask20170319_03 KKもかぶって記念撮影。

C7qyrurvoaafyxdjpg_large作った煙さん自身がかぶって、集った異形仲間と一緒に記念撮影!

ちなみに、kemuriworksさんは他にも以下のような素敵な作品が並んでいました。
5月のデザインフェスタにも参加されるようなので、気になった方はそちらでチェック!

Unspecified
他の写真は後日追加します。

2017年3月12日 (日)

「#ラノベの仕事したい」 持込みオフライン交流会 第3回 3回目は大盛況!

ラノベのお仕事をしたいイラストレータや小説家、もしくはその卵たち、更には実際にその仕事に携わっている現役編集者たちが集うイベント。
3月4日、約半年ぶりに第3回がいつもの通り秋葉原のAKIBA POP DOJO で開催された。
第1・2回に続いて、筆者もラノベ作家志望でないにもかかわらず会場に潜伏し様子を探ったので、その様子をお伝えしてみよう。
(第2回目の様子はこちらから)

 

今回は、1回目と2回目の反省を十分に生かした構成になっていた。
第1回目で見られたトークショーを第1部に持ってきて、メインとなる編集者も交えた交流会を2部に持ってきたのである。こうして明確に切り離すことにより、トークショーをしっかりと聴ける、もしくは聴かなくてもいい構成に切り替えることによりずいぶんとすっきりとした印象になった。
(第1回目はトークショーと交流会が同時開催でトークショーが聴かれていない事態に、第2回ではトークショーそのものがなくなる事態に)

 

2017030402

〇1部セミナー
登壇者
難破江氏 (講談社ラノベ文庫)
鈴木氏 (ラノベニュースオンライン)
トークテーマ 『ラノベの仕事したい』

第1部は、現役ベテランラノベ編集者がラノベの仕事そのモノがどのように進行されて出来上がっているのかを語った。
夢と現実が入り混じるトークである。
難破江氏の角川に入ってからこれまでの経歴から始まったのだが、ちょっとここでは書けないような話まで飛び出して、意外にも会場からは笑いも漏れて決してシビアな空気が支配する時間はならなかったのが印象的であった。

書ける内容で主な点は以下の通り
〇印税などの金にまつわる話
 →印税率からWebやノベライズで率が違うなどの話。
・収入低い
 →売れっ子にならない限りは作家の収入だけでは生活できない
 →様々な作家が兼業している(兼業してきた)

〇新人賞の話
・新人賞の傾向。主に送られてきた作品でダメな傾向など
 →送られてくる作品の半分が『異世界転生モノ』
  →賞をとっても本になるのは執筆してから2年後になるかもしれない。
    これからの流行を読まなくては
    →作品に盛り込まれる興味が年々『食事』など身の回りの出来事に近づいてきている。
・『作家になりたい』という人は、作家になるだけで満足して終わってしまう。
 →つまり、継続していい作品を書ける人というのは、作家になることが目的でなく、面白い作品を書き続けることが目的。
・読み手を意識しているか問題
 →読者層(10代・20代の若者)を意識できた文章になっているか。
 →出だしだけでも、舞台は学校にするなど読者がすんなり物語に入っていけるように寄せる必要はある。
 →読者の読解力は落ちている問題
  →読者の想像力を超える作品はNG

〇イラストレータ
・ラノベは最初にイラストありき
 →新刊は毎月約150冊(女性もの含めれば200冊)出る。その中で売れてるシリーズ以外手にしてもらえるのは至難。
  →だからこそ、表紙でまず目を惹く必要がある。
・お金の話
 →表紙絵〇〇万円 カラー口絵〇〇万円 モノクロイラスト〇〇万円 など
 →揉めることがシバシバあるので、金額の話は最初にすべき。
 →買い取りや印税などは会社によってバラバラ。
・著作権は小説を書いた作者にある。
 →イラストは、その作品の2次創作的位置付け
 →だから、イラスト集などで使う場合は作者にお伺いを立てておくのが無難
・イラストで多少のウソもあり
 →絵的に映えるので作品中に触れられていないアイテムをキャラにつけるのもあり(オーフェンがそれ)
  →イラストレーター側から提案するのもあり

 

以上が主な内容。
細かい数字なども出ていたが、それはイベント参加者の特典ということで。
他にも声優と結婚できるかどうか問題などの話が出ていた。
(声優とは無理! アニメ化などの時に面倒になるので)
基本、小説に関してはやや初心者に向けた印象。
デビューしている人はもちろん、わりかし経験があったりある程度調べている人なら知っているだろう内容であった。
だが、その合間合間に入る実エピソードなどが興味深く、聴きごたえは十分であった。
なにより、話し方が軽快なのがよかったのだろう。

最後に、

電話には出ろ!

 

第2部 交流会

1時間の間があいて、メインである交流会が開かれた。
筆者は、ここで過去2回と同じくイラストレーターのワトウ氏と合流して若干遅れて参加した。
(ワトウ氏のイラストはここここから)

2017030401_2

会場に入れば、既に多くの参加者で賑わっていた。
その様子でこのイベントがいかに多くのイラストレーターや小説家(志望者も含む)から渇望されていたかが窺える。
その参加者たちの熱意からか、会場はかなり熱気に満ちていた。

交流会と言っても、のんびりとお互いにお茶でも飲みながらそれぞれの活動を話し合うわけではない。
前回はその雰囲気がやや漂っていたものの、今回は参加者にそんなゆるい空気は許されなかったようだ。
なぜなら、前回とは違いラノベレーベルからの刺客である編集者たちが過去最多の参加数に達したのだから。

モーニングスターブックス
マックガーデンノベルズ
一二三書房
角川スニーカー文庫
アース・スターノベル
ファミ通文庫
トライデントワークス
共幻社

これらの出版社が秋葉原の地に集合したのだ。
恐らく、このイベントの過去2回の様子も伝わっているかと思われる。
つまり、集まる人たちが素人レベルでないことは分かっているのだろう。
だからこそ、編集側の人間もその熱意に応えたのかもしれない。
実際、参加したイラストレーターの作品を見ると一定の水準以上の作品ばかり見受けられた。既にある程度の商業活動を得ている人も結構参加している。
(前回は有名レーベルでデビュー済みのラノベ作家もいた)

会場では、所狭しと長い列が幾本も形成され、皆が小説の企画書やイラストの見本を見せながら熱く編集者に説明する場面が見られた。
中でもおもしろかったのが共幻社さん。
参加者の企画書を5段階評価する内容。唯一出版社側から出された工夫でもある。
さすが全3回皆勤賞。やる気が違う。

筆者は、件の通りにラノベ志望ではなく今回は第3者的立場であったものの、流れで他の参加者の持ち込みをすぐ脇から窺うチャンスに恵まれた。
イラストを見せながら、自分がどのような作品を描いているか。どのような仕事をしてきたか。現状どのようなものかを説き、編集に意見をうかがう形になっていた。残念ながら、筆者が接した出版社の人間は編集部ではなく営業の人間だったようで、その場で直接的な意見が述べられないとのこと。他の編集者では、おそらくそこでその会社ではどのようなスタイルで仕事を進めなにを作者側に求めているかの説明がなされていたと推測する。
しかし、直接的な決断はもちろんどの編集者もできはしないだろう。
恐らくだが、どの編集者も今回得られた多くの優良な作品群や情報を会社に持ち帰り、会議にかけたと思われる。

今回の参加者は編集者も含め100名近く集まった。恐らくは、編集者が一目置いた存在もいたであろう。
近々、このイベントから仕事を得る者が現れるかもしれない。
筆者は、今回のイベントの熱気を肌で感じその可能性を大きく感じ取った。

過去2回は最後の方にはほぼ編集者とのやり取りも落ち着いて参加者同士でのそれこそ交流会らしい空気になっていたが、今回は最後の最後まで編集者への列が途切れず、空気感が違うのがそこからでもうかがい知れた。
これは、本当に誰かが仕事を得そうな気がしてならない。
どうやら、第4回も7月か9月に行われるらしい。
この勢いをイベント主催者とともに更に活かし、より熱いイベントにしつつ仕事を得る人を増やしていってくれると面白い。
今後のイベントや参加者たちの活動に注目である。

 

2017030403

おまけ 今回も会場の真ん中にはお菓子が用意されていた
が、すぐ脇で編集者と参加者が真剣な話をしていたので減りは鈍かった。

2016年12月 4日 (日)

転売という行為は、作家への応援を遮断する

先日、もはや大型イベントの一つとなった、日本のアート界隈ではお馴染みのデザインフェスタが開催された。
デザインフェスタに関しては、この記事では省略する。
簡単に触れておくなら、年2回開催される海外も含めたプロアマ問わないアーティスト界隈の祭典である。即売会の要素が強いが、もちろんパフォーマンスもある。

そんなデザフェスで一つのトラブルが生じて話題になった。
それが、『転売問題』である。

恐らくは、盗作含めてこの界隈ではデザフェスに限らずどこかしらでちょくちょく起きている問題なのだろう。
で、その問題に筆者も巻き込まれる形になったのだ。
そのため、今回は『転売』についてちょっと考えを巡らしてみた。

問題になったのは、とあるぬいぐるみ作家さんの作品をネット経由で手に入れた人物が、作家さんには無断でデザインフェスタを利用して売りさばいていたということにある。
この作家さんのあずかり知らぬところで、我が物顔で作品を売る人間が現れた事実が大問題と化したのだ。

で。ネットで『転売』に関して検索すると既に昔から存在する問題のために多くの人間が色々な角度から検証している。
・詐欺にあたるのか 
 → そこに悪意(営利目的)があっての行為なのか
 → 仕入れ値より大幅な高値を付けているのは許せないという感情問題
 → ネットオークションでは、代金振り込んでも商品が届かないなどの分かり易い詐欺がある
・転売という行為そのものはそもそも世の中至る所にある(代理店など)
・古物商の資格はあるのか
などなど……
調べてみると、やはり グレー な部分が浮かび上がってきて何とも言えなくなる問題であることが窺えてくる。

しかし、気になるのは『倫理観』の視点から見るとどう捉えられるか。
やはり、俎上に載せるべきはここに至るのかなと。
多くの人が転売許せないと感じるのは、この倫理観から腑に落ちないためだろう。
とくに、扱われているのが、企業が売る商品でなく、個人が作った作品である点だ。

作家さんが丹精込めて作った作品を、その人とは関係ないところで無断で利用して利益をむさぼるという行為。
つまり、大本の作家さんは転売屋の利益取得にまんまと使われた格好になる。
これは憤っていい問題だろう。
資本主義社会において、この行為は問題ないのではないかと問う人も現れそうだが、倫理観重視で考えるとやはり許せはしない。

もし許されるとしたら、やはり正規代理店のような形で大本の作家さんが許したときのみだけではないだろうか。(それでも、買手は不当に高額な対価を払うことになるとも受け取れるが)

特に気にすべきは、デザインフェスタという場で行われたという点だ。
デザインフェスタという場の価値を考えていただきたい。
作家と作品、そして買手・作家のファンを(ほぼ)ダイレクトにつなげる場であるという点だ。
買手は作家と時に直接話しその苦労話や作品の見どころを聴きながら作品への理解を深め、時に購入に至るわけである。
その行為は、作家の作品に惚れ込んだ、作家自身の誠意にやられた、作家の人柄を気に入った……などなど、あらゆる肯定的な欲求により突き動かされた行為なのだ。
その根本的なところにあるのが、その作家を応援したい、もっと良質な作品を拝みたいという欲求からではないか。
買うという行為そのものは絶対的な応援なのだ。

それが、『転売』という形を挟んでしまうと無駄になってしまう。
なぜなら、その買手の行為や思いは直接作家には届かないし、間接的に届くことも難しいからだ。
結局、転売で本当にいい思いをするのはその転売で利益を得た人間だけなのである。
確かに、買手側には作品が残るには残るが、もしそれが転売と知った場合(筆者がそうなのだが)、なんだか微妙な気持ちになる。
筆者の場合、今回は完全に節約モードに入ってデザフェスに臨んだにもかかわらず、問題になったいた作品が目に飛び込んできて完全に『一目惚れ』してしまい、結果衝動買いしてしまったのだ。それぐらい感情を突き動かす魅力がその作品にはあり、そんな魅力を込める能力を持った作家さんは称賛に値すると言える。
その作家さんの作品を『転売』という形で購入してしまっては応援できていないに等しいのだ。
(皮肉にも、騒動で有名になってしまったのだが)

もう一度考えてほしい。
アート界隈における作品を買う(買わなくても、素晴らしいという意思を示す)という行為は、その作家さんを応援する意味も含まれている。
『転売』という形は、応援を遮断する行為に当たる。
それを踏まてデザインフェスタで転売をするとはなんなのか考え直してみよう。

2016年9月11日 (日)

「#ラノベの仕事したい」持ち込みオフライン交流会 ~第2回~ を覗いてきた

「#ラノベの仕事したい」持ち込みオフライン交流会 ~第2回~

というイベント開催情報を掴んだので、去年の記事で紹介したワトウ氏と一緒に参加してみた。
このイベント、第2回目なのだが、実は筆者は第1回目もワトウ氏とともに参加していた。
その時の比較も合わせて、例によってTwitterの感想ツイートと一緒に軽くイベント内容を振り返ってみたい。
今後、ラノベの仕事がしたいと目論んでいて尚且つこのイベントに興味を持った人に届けば幸いである。

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始めに、イベントの流れを軽く触れておこう。
イベントはほぼ自由スタイルである。
参加者はそれぞれに『物書き』『イラストレーター』『編集・その他』と振り分けられ、それぞれに青・赤・黄の色分けされた紐がついた名札(名刺)を首からぶら下げて会場にたたずむ格好になる。
つまり、その色でその人がどの立場にあるかを軽く見分ける形になる。
イベントが始まれば、みんなその色から判断してそれぞれに目的の人へ話しかける。
といっても、もちろん編集の人間がターゲットになるわけで。
つまり、物書きやイラストレーターは黄色い紐を下げた編集を見つけ出して話しかけ、それぞれの作品をその場で提示して交渉する形になる。
話が進むようならば、個別のスペースや部屋も用意されていて、そこでじっくりと話し合う。
交渉といっても、もちろんここでいきなり具体的ビジネスな話に発展しているわけではない。自分は交渉の席に座ったわけではないのだが、恐らくその会社(レーベル)が求めている作風とは、仕事の流れはどのようなものか、などの説明に終わっているのだろう。もちろん、作品への意見を貰っている人もいるだろうが。
第三者目線で印象を書くにすぎないのだが、お互いが(特に編集側が)手探り状態に見えた。

当然、編集の人間もそれほど多くないので、待ち状態の人が多く生まれる。そういう人たちはそれぞれに何となく話し掛けあいながらそれぞれの事情を伺い合う。

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会場の真ん中には、写真のような駄菓子が置かれていて自由に食べらる。

第2回目の特徴として、別室にて新進気鋭のレーベルが個別に企画の説明会を開くこともあった。
筆者は参加しなかったのだが、こういう流れはこの企画全体を特徴づけるものとしては興味深い。
そのレーベルのイベントに対する本気度もうかがえるというものである。
(正直、1回目は編集側のやる気は疑われるレベルの印象)

流れを軽くまとめると

・主宰からの挨拶‐説明
・ホワイトボードに参加者は名刺を貼る
 →机にはそれぞれの作品サンプルを置く(閲覧自由)
・紐の色を見分けて編集への交渉と参加者同士の交流開始
・編集との話が進めば別室で交渉
・編集側の全体説明会開始
・お菓子食べてジュース飲みながら談笑
・閉めの挨拶

これに加えて、希望者にはスクリーンに自分の作品を映しながらアピールすることもできた。
前回あった、ライターなどのトークショーは完全に省略。

以下、筆者ツイートから

〇 今日のイベント、正直書いてしまうと出版社側の参加が少なくやや物足りない印象があった。 自分の立ち位置的には第三者なので多かろうが少なかろうが関係ないのだが、仕事狙っている人には消化不良な部分もあったのではなかろうか。

〇 ただ、交流会という側面から覗いてみると面白い。 小説側からしても文フリには参加しないような人が多めで、そういう人たちの感覚や傾向が窺い知れた。(特になろうなどのWeb中心にやっている人たち) Web中心だと普段直に交流することが少なくなるので、こういう場は貴重とも捉えられる。

〇 今回から現れたのは、出版側の個別説明会。 ゲームブック関係の人が別室に興味ある人を集めて企画の説明をしていた。 ただ、自分は参加しなかったので詳細は書けない。

〇 個人的な要求は、後半ゆるくなった時間には椅子を持ち出して欲しい。 何時間も立っているのは辛い。

〇 次回、1月後半か2月にあるそうなので、興味がある人はどうぞ。 仕事に結びつくかは不明だけど、交流という意味でもおもしろい企画です。

〇 あと、 交流会 としての要求としては予め個々人のプロフィールが簡単にでも分かるようにしてくれれば。 一覧表が出ていれば後にも先にも便利。

〇 という話を、スタッフの岩上さんに話せばよかったか。

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総評
前回のイベントでは、ファミ通文庫などのレーベルも参加していたものの、今回は有名どこはほぼなし。全体的にも編集として参加している人が少なく、本気で仕事探していた人には物足りなかったのではなかろうか。
その代り、立ち上がったばかりの出版社から何人か参加していて、その方々は逆に本気度をうかがい知れた。立ち上がったばかりという点が気になるものの、本気度では1回目で消え去った編集とはまず間違いなく違うだろう。個別に説明会を開いていたのはこの方達だ。
出版社がうまく軌道に乗れば、このイベントから仕事に結び付けられる人も出てくるのではなかろうか。そういう意味でも、この出版社自体にも注目してみたい。

個人的には、いわゆる なろう系 の人たちを中心としたWeb系の物書きが多く参加しているのが印象的であった。文学フリマでもWebで発表している人は多いが、やはり主戦場は同人誌の人たちだ。そうではなく、Webのみでの活動をしている人たちと触れ合えたのは興味深い。まあ、だからといって特別何かが変わるわけでもないのだが。
新人書を受賞しているような作家も普通に混じっていたのも面白い。
デビュー済みの人とも交流できるという意味では<交流会>としての意義はあるのではないだろうか。
今回は、前回からの反省からか<交流会>という意味合いを強めていた印象はある。
聴いている人が少なかったトークショーを完全に省き、時間もやや短縮。
(前回は、編集側と交渉している間にトークショーが開催されていて、参加者はトークショーどころではなかった)
その代りに、交流会後はアフターも用意していた。(筆者参加せず)
そこで酒を交えながらより深い話をできた人もいるはずである。
どこにイベントの中心的要素を見出すかは重要である。
ただし、<交流会>を望んできている人がどれほどいたかは不明。
やはり、編集側との交渉を望んでいる人は多くいたはずであるから、次回はもっと編集側の人間の参加が望まれる。

あとは、このような交渉ごとに慣れていない人も多いと推測される。
誰か、事前に基本的心構えというか、流れや準備しておいた方がいいアイテムやセールストークなどをレクチャーしてくれればありがたいのではないだろうか。
経験者、フォーマット作成を望む。

営業経験者なら、スクリーンにパワポで作ったプレゼン資料風の映像を流しながらアピールしてもいいかもね。自分のイラストを採用することにより、御社にはこれだけの利益をもたらす、みたいな。
もしくは、その代役を誰かに依頼してみるとか。

長くなりそうなので、この辺で閉めよう。
他の参加者も、気が付いた点や要望は主宰者へアピールしておいた方がいい。
第3回もあるのだから、改善点として考慮されるかもしれない。
主宰の岩上さんも生もの声が貴重だという意味合いの言葉をおっしゃってたので。

2016年6月25日 (土)

おもてに浮かび上がる日常と非日常の境目

Kamenya_0
ちょっと前のブログ記事でなぜ仮面を装着するのか・仮面をつける欲求とはどこからやってくるのかについて触れた。
自分の内面性を曝け出すための媒介ツールが仮面なのではないか。フィルターというよりも、仮面をつけることにより外見上別の何者かになれるために、だからこそ自身の底に隠していた本性を出せるのではないのだろうか。
そういうことに触れたと思う。

さて、いきなりだがそのことはとりあえず置いておこうじゃないか。
御託はいい。まずは仮面を見せろ! と叫ぶ方にお勧めしたいお店がある。

仮面屋おもて というお店が墨田区の曳舟に開店した。
もうこのブログを書いている現在(2016年6月25日)よりもひと月以上前の話である。
実は、筆者も2回お店に訪れた。
これまた以前にこのブログ記事でも紹介させていただいたマスクフェスティバルの主催者様が開いた店でもある。

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見ての通りで、その名の通りに『仮面』のお店である。
扱っている商品は、仮面や仮面にまつわる書籍類である。
しかし、その種類は豊富であり、狐面などの定番なものやガスマスクやラバーマスク、ペストマスクなどのディープなものまで。中には、これはかぶれるのだろうか? と疑問に感じられる種類までもが扱われている。

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お芝居に使えそうなものから、まさに件の過去記事で紹介したような『別の何者かになれる』仮面までもが揃えられている。ここに来れば、普段の自分とは離れ、内底に秘めていた自分の本性とご対面できる場なのかもしれない。

Kamenya_8

筆者の仮面装着時を激写した一枚

お店の人に声をかければ、仮面を試着することも可能。
(一部試着不可の仮面もあるので注意をお願いします)
自分に合うステキな仮面をじっくりと選べることができる。

 

どうであろうか?
このお店、何がまた魅力的かというと、曳舟にある何気ない商店街の一画に存在しているという点。

Kamenya_10
夕方ころ通れば、様々な食材やできあいの惣菜が店頭に並んでいたり買い物帰りの主婦とすれ違ったりする場。本当に日常の中にあるのである。
ただ、このお店だけがどことなく非日常の世界を醸し出している。その違和感こそが面白い。
そして、その日常と非日常が紛れあう 場 こそが貴重なのではないだろうか。
そういう場でこそ、仮面をかぶり普段の(日常の)自分を捨て去り、非日常の(真の)自分を曝け出しながら堂々と闊歩してやるといい。

先日訪れた時、斜め向かいにある書店のおばちゃんが一人お店を訪れて興味本位に仮面を眺めていた。
その後、筆者が店を出た時もどうだったかと問いかけられた。
意外と興味津々な様子であり、仮面に対する嫌悪感は微塵も感じられなかった。
浸透する空気は出来上がりつつあるのかもしれない。
あとは、仮面をつけた皆が日常に紛れ込めばいいだけではないか。

さあ、皆も仮面をつけて日常を闊歩してみよう。
まずは、仮面を求めて『仮面屋おもて』へ行こうじゃないか!

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追記

7月10日に3度目の来訪。

なので、写真追加。

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これは三猿、つまり「見ざる、聞かざる、言わざる」をモチーフにした仮面だとか。
編み物のようで、それを何かで固めている様子。
アイデア的にもデザイン的にも素敵な一品。

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狐面と能面のコラボレーション。
……いや、角度的にそうなっただけだだが。
ちょっと怖い写真になったな。

他にも、多種多様な仮面が一杯です。
とにかく一度訪れてみては。

 

更に追記

7月24日に、2階部分が大幅に変わったという情報を聴きつけて4度目の訪問。

なので、その写真をまた追加します。

 


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御覧のように、2階には木製の車を模した大型の棚が設置された。
これには正直度肝を抜かれた。
それ程広くはない空間にここまで大胆な試みを仕掛けてくるとは。
毎度来るたびに新鮮さを感じるお店であるが、今回は新鮮さというよりもその変貌に驚くあまりであった。
ディスプレーされた商品そのものが、まさに一つのアートとして生きているようである。買っていくのが惜しくも感じられる。(いや、買ってね)

 


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店先にはこのようなモニターを見かけた。
モニターには店頭が映っているだけで、一見なんなのか分からないこれ。

モニターの前へ近づけば分かる。
「カー!」と乾いた音とともにモニターに映された人の顔がアップになるのだ。
『ズームイン 顔』だそうです。

訪れた際は、こちらも是非チェック!

2016年6月23日 (木)

怪盗は私たちに楽しい時間を与えてくれた

何度も同じような内容のパフォーマンスを見せつけていては、当然観衆に飽きられて廃れていくものである。
だからこそ、コンテンツを送り出すクリエイター側は都度工夫を凝らし中身を一新させていかなければならない。クリエイター側の創造力・発想力の広がりが試されている。
けれども、中にはその新鮮さの担保となるのは送り手であるクリエイターだけでなく受け手側である観衆にもあるコンテンツも存在する。
受け手側がどのようなタイプの人間かによっても、またそのコンテンツの様相ががらりと変貌してしまうわけだ。
そうやって、演者と観衆が混じり合い『拡張』していくエンターテイメントもある。

 

 

2月にオトギユーギという即興芝居を観に行ったのを読者諸君は覚えているだろうか。
詳しくは過去記事を読んでいただきたい。ここにどのような芝居かも書いてある。
さて、先日またも筆者は退勤後慌てて渋谷に向かい、そのオトギユーギを観に行ったのだ。

前回のオトギユーギは、「お伽噺」が主題として扱われていた。
で、今回は『怪盗オトギ小僧の挑戦状』と題しての即興芝居
出演者の誰かが犯人となり、また誰かが探偵となり、例によってお客さんが書いたフレーズからランダムにひかれた 何か を怪盗が芝居中に盗み出し、芝居後に探偵が怪盗が誰だったかを当てる試み。

といえど、それはあくまでおまけ的な要素に感じられた。
メインは、前回に引き続きやはり即興で予測不可能に流れていく芝居にあったと思える。
今回も死神が転職して不動産になったり、ナメック星に飛んだり、SMプレーがあったり、突発的な一発芸やらされたり、後半ずっとリモコン役する人間が出たり、まっくろくろすけで一気に空気をかっさらっていったりと、ハチャメチャな展開で観ている者を楽しませてくれた。

さて、自分のTwitter ツイートで振り返ってみよう。

『オトギユーギ、前回に引き続き大変面白い芝居でした!
役者の方とお話ししたのですが、やはり台本のない即興は難しいようですね。全てアドリブだから、極端に言えば全く話さないまま追われるし、終始喋ってもいられる。演技力だけでなく、勢いや度胸までもが試されていました。』

 

『追われるし→終われるし

 

で、観ている側もまた油断できないのがこの企画。
先ほどもツイートしたけど、芝居前に演目中役者に読まれるフレーズを観客側が(若干の縛りはありつつも)自由に書けるのですが、これが読まれるタイミングなどで受けなかったりする。
これが本当に悲しい。』

 

『他にも、ちょくちょく観客側に芝居を左右する役目が振られる。
このさじ加減もまた試されている。
つまり、意外と観客側もセンスを試されている企画なのだ。
小屋全体が舞台でもあるし、制作サイドとも言える。』

 

『また、役者……だけでなくて観客側もまたガラリと層が入れ替わればそこに生まれる舞台は違ったものになるはず。
つまり、まだまだ幾らでも拡張の猶予が残った企画だ。
素晴らしい!』


さて、まとめてみよう。
まず、舞台側に立った視点。
舞台後にとある役者さんと話したのだけど、なかなか出ていくタイミングが掴めなかったそうだ。
そう、舞台には常に全員出ているわけではない。何人かが舞台に出て、その他は舞台脇で控えている(序盤はチーム分けしていて事情は違うが)。で、タイミングを見て脇で控えていた役者がそれこそ即興で役とシチュエーションを作りながら舞台に出ていかないといけないのである。その出ていくタイミングが難しく、度胸と頭の回転力が求められる。
誰かが何かを演じてアドリブセリフを決めている最中にも、空気など関係なく強引に舞台に上がり込みセリフを突きつけなければならないのだ。
そこを(なかなか割って入れなかった部分を)舞台中に反省してしまったのが反省ポイントと彼は上げていた。

また、誰とは書かないけど、ちょっとセリフ少なかったなと感じる人もいた。恐らくその人もまた、うまいタイミングに入り込めなかったかセリフがなかなか思い浮かばなかったのだろう。
この舞台、はっきりとしたセリフが一言も決まっていないだけに、この「度胸やタイミング」は役者力を試すこととになっているようだ。もちろん、ユーモラスも。

次に、観ている側の視点。
今回も、芝居前に渡された紙に好きな単語かセリフを書く仕組みになっていた。

「なに その ウツボみたいな顔」

たしか、こんなセリフを筆者は書いたと思う。前回に引き続き謎のセリフだ。
で、これまた前回に引き続き玉砕したのである。つまり、受けが悪かった。
こうなると、なんだかラジオに投稿したハガキが滑ったかのようでもあり、ショックも大きい。

>ちょくちょく観客側に芝居を左右する役目が振られる。
今回うまかったなと感じられたのが、この観客側の対応。
前半の芝居はチーム戦であり、お客さんの反応が一番悪かったチームが落とされる格好になる。
で、役者側にその落とす宣告をする役目がお客さんの中から突発的に選ばれたのだが、この時の対応を選ばれた方はよく分かっていた。
バラエティー番組(ぐるナイのごち企画など)にあるような 「落ちるのはこの人と思わせて……この人……と思いきや、この人なんだよ……なんてことなく、やっぱりこの人だ!」 というあのタメ。あれをしっかりと実行していた。
こういう流れを作りだせるかどうかも、そのときたまたま来ていた、更にたまたま選ばれた人にゆだねられるだけに、生のエンタメならではである。
前回の言葉を借りるなら『事故』連発である。

 

その事故を演出するカギにもなる観客、恐らくは大体が出演者の知人友人関連なのだろう。
しかし、そうでなくここもまたもっとランダム性があれば芝居の内容もガラリと変わる可能性はある。
例えば、それこそ深夜ラジオのハガキ職人が集まったら、紙に書かれるフレーズの内容はもっと馬鹿らしくなるに違いない。
若者中心だったら? もっと女性が多ければ?
とまあ、変化する要素は幾らでもあると思う。
役者や演出じゃなく、お客さん側が変わるだけで内容が変わる可能性がある企画というのは新鮮ではなかろうか。
また、他にも試み次第では幾らでも拡張性を秘めている企画でもある。

今回で12回目の企画らしいが、まだまだ幾らでも広がりのある芝居のようだ。
次が楽しみでもあるし、内容をガラリと変える意味でも、まだ観に行っていない人は次は是非楽しんでほしい。

 

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2016年2月29日 (月)

第2回マスクフェスティバルとステキな人たち

前回の記事では、なぜ筆者がマスクフェスティバに出向いてマスクを求めたかの説明をした。
その説明だけである程度の分量の文章を書いたので、分けてこの記事では写真中心に会場の様子と気になったブースを紹介する。

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まずは坂爪康太郎さん (@tumetter) のブース。
筆者が一番最初に訪れて、一番長居したブースかも。
そして、何よりも記念すべき筆者初の仮面購入デビューがここ!
写真左側に置いてある謎の幾何学模様。これを丁寧に開いていくと、トルソーにかぶせてあるようなマスクに早変わり。
このマスク、見ての通りで折りたためるので平面にでき持ち運びに便利。しかも、広げれば立体的になるので、筆者のようにメガネをかけていてもかぶれるのだ。ポイントが高い。
製作者の坂爪さん、非常に落ち着いた人で丁寧な説明が好印象だった。

 

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段ボール人間集団MM5さん (@MM5_cardboard)
様々な場所で回収してきた段ボールを写真のように仮面へと変化させていた。
発注した段ボールでなく、回収してきた段ボールを使用しているのが一つの特徴。
あえて安っぽさを出しているのだろう。
主宰の人と話をしたら、芸大生だとか。また、段ボールを売るだけでなく、その段ボールを使ったパフォーマンスも会場内で展開していた。
仮面を作る側面よりも、そのパフォーマンスのほうに注目すべきか。

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このお手伝いさんが着込んでいる段ボールに、「名前」か「いぬのえ」を会場内にいる人に書いてもらうパフォーマンス。
筆者も、背面に名前を書き込んでおいた。

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こちらは、光るマスク Make bright さん

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写真では分かりにくいけど、このマスクは光るのです。
暗闇で被れば効果抜群だ!
説明を聞くと、光るチューブのような何かを一筆書きのようにマスク上に走らせてイラストを描いているとか。なので、一筆書きで描けるイラストなら特別発注も受け付けているとか。
まさに、地下(室)舞踏会などひらいたときには人気抜群になりそう。

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個人的には同じみな異形商店さん
アーティズムマーケットなどでも見かけますね。というか、写真左の虚無僧さん、ハロウィンやデザフェスでも見かけた気がする。
この二人の格好がもう、グッときますよね。
おそらく、そういう人をターゲットにしているのでしょう。
写真のような仮面だけでなく、文庫本にかぶせればあっという間に魔導書や秘伝の書に早変わりするブックカバーなども扱っていて、芸が細かい。
そして、筆者はここでも仮面を購入!

 

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お面のかしま屋さん
今やよく見かけるようになったきつね面。そのきつねをこのように少しどぎついようであでやかに、立体的にデザインしてます。
このデザインが、他のきつね面とは違い迫力が出ていますね。
店主二人に話しかけてビックリ、作者は女性の方でした。

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写真右の小柄な方が作者。
左の方(男性です)は広報担当だとか。
左の方と少し話しましたが、非常に創作意欲湧くお話が出てて非常に充実しました。
ありがとうございました。
で、この方とも話したのですが、なぜきつね面が流行っているのか。推測の域は出られないのですが、アニメ漫画などのコンテンツでも頻繁に使用されるアイテムであり馴染みが出ている。更には、若い女性にはファッション感覚で身に着けられる。そういう特性から購入される方が増えているのではないかと。
また、装着すれば別のペルソナを引き出して……などの話にも。
創作者だけでなく、利用者側の意見ももっと聞けたらな。

でも、この身長さあるきつね面カップルというのもまた、シチュエーションとしてはバッチリですよね。創作の中に出したくなる。

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仮面屋狐火食堂 あるいは 秘密結社兎の角 さん
本革でできたきつね面です。高級感溢れてます。それだけに、有り触れたきつね面とは風格が違う。
しかも、どれも一点もの。
やはり、いい値段なのですが、なんとここではクレジットカードが使えました。
こういう作品だけでない細かいサービスを仕込んでくるのは脱帽ですね。

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kemuri works さん (@kemuriworks)
スチームパンク系の空気を醸し出すブース。
ゴーグルが本当に魅力的で、しかもそれほどお高いわけではない。
筆者の資金がもう少し豊富なら購入していた。というか、欲しい。次のイベントで買う。
他にも、昆虫系のアクセサリーなども扱っている。
ブース全体の空気が非常にセンス良かった。

以上、気になったブースの写真でした。
最後に一枚。

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今回、出展者以外の方で本当に多くのマスクをかぶっていた人を会場内で見かけられた。
アーティズムマーケットといい、こういう会場に来るたび感じるのだが、素顔でいる人間の方がなんだか異邦人なのではと錯覚する。人間ではない何かが正常であり、人間である存在の方が異質であり、異端者なのではないか。
そして、そんな人間でない存在が集まり、その存在をたたえ合っている場がこういう空間なのではなかろうか、そういう気分で支配されてしまうのだ。
実際、ご自慢のマスクをお披露目する場としても機能しているのだろう。まさに社交の場。
(それが故のマナー問題もちらほら浮上していたようですけど……)
別のペルソナを引き下げて、日常とは違う自分を曝け出し、他者も社会も誰もが提示してくれない何者かになろうとしているに違いない。
マスクをかぶることによって奥底に眠っていたペルソナを引きずりだし、誰も想像していなかった何者かになったとき、その者はきっと誇れる存在になっているに違いない。
だからこそ、みんな別の顔を求めているのだろう。

筆者も、購入した2点のアイテムを使って眠っていた何者かになり、新たな形で社会へと再アプローチをかけてみようとするか。

2016年2月28日 (日)

仮面をかぶることにより、見えてくる世界もある

「何者かになる」 というのは、以前このブログでも川崎ハロウィンの時に軽く触れた。
(こちらから)
しかし、その時は大衆的でありネタ要素という側面も強く見られた。
つまり、若者を中心として皆で共通のネタを消費して手軽に騒ぐことが流行っている、という部分に触れた。

しかし、この世にはそんな刹那的で狭い範囲で終わる消費で快楽を晴らすだけの人間だけではない。本質的に自身の内面を 「何かになる」 ことによって引きずり出してその仮初の姿を通して外部へと放出することに本気になる人もいるのである。

それは、コスプレという言葉でも表現してもいいのだが、そんな一言だけで語っていては捉えきれない。人の内面というのは、それほど複雑で幻影を見ているかのようだ。

 

先日、くしくも同じ川崎で開かれた『第2回マスクフェスティバル』に出向いてきた。
一般ながらも、1回目に続いての参戦である。
このイベントは、筆者としては個人的に本当に楽しみにしていた。
なぜなら、ついにマスクを購入する決意に至ったからである。
前回は、そういう変わったイベントがあるという情報を仕入れて興味本位で行った部分が大きかったが、今回は全然違う。一マスク愛好家へと変貌しようと決断したからである。

さて、なにゆえに筆者はマスク意欲が高まったのだろうか。
コスプレにさえ全然興味を示していなかったのに。
それこそ、刹那的なネタとしての消費を周囲に撒き散らそうとしているのだろうか。
いや、それともまた違う。ネタを完全否定はし切れないものの、ネタとして示せる相手が殆ど周囲にいない事情もあるし、刹那的に終わらせたいとも思えない。そこは自覚的でいる。
では、なぜ?
それこそが、リアルで仮面をかぶる本質を探ることになるのではないだろうか。

仮面を通して世界を見ることにより、見えてくる世界。
更には、仮面をつけて『何者』かになることによって見られる視線の変貌の確認。
そして、そこで現れる内面の変貌……。

末は博士か大臣か
立身出世
何かにならないといけなかった過去の社会が崩壊し、何かにならないといけない意識の残滓だけが払いきれず、何になればいいのか分からない現代社会。
何かになりたい気持ちは多くの人間が抱いているはずだ。だが、その共通の方向性は社会全体で抱えられていない。だからこそ、みんなモヤモヤした気持ちを抱えながらも何でもない自分をさらけ出しながら生きている。
そんな空気に嫌気がさして、偽りでも何か極端な存在になりたい。
しかも、刹那的なネタではなく本当に。たとえ仮初の処方箋としても。

それが自分の答えのようなものだ。
仮面をかぶることにより、自分ではない何かになる。
そして、自分自身の奥底に押し込めていた何かを開放してあげるのだ。
なぜなら、そこにいる仮面をかぶった自分は自分であって自分でない。また別の誰かなのだ。
有り触れた言葉で覆うならば、別の『ペルソナ』を持ち出してくるのだ。
そんなものは本物なのか偽物なのかは分からない。しかし、それが偽りの人格であったとしても、それは刹那的な快楽としての消費ともまた違う。
なぜなら、仮面をかぶった者はもはや別の何者かであり、表舞台で形成されてきた人間関係に対してネタとして見せつけるつもりはサラサラないからだ。ネタとは違う、本気……というより、本質がそこには浮き出てくるのである。
その本質を人前で晒すためにも、仮面というツールが絶妙な効果をはっきりしてくるのである。

言い換えるならば、内面の露出である。
仮面で顔を覆っているはずなのだが、仮面をかぶったが故に内面という隠された部分を曝け出すことになる。そこからくる抑圧からの解放と新たな可能性との出会い。

自分がどこへ行くのか、どこに向かえばいいのか……。
自分が何者なのか、自分が何者として立ち振る舞えばいいのか……。
迷走しているからこそ、仮面を使って本質を引きだし、答えを求める。

さて、仮面を手に入れた筆者は、どのような本質を引き出してどのような人生をこれから歩むというのだろうか。

 

マスクフェスティバル会場の様子はこちら

鬼ヶ島に出向かないリアルな現実がそこにある

昔、故あってとある舞台演出家さんと少しだけ交流があり、その影響で芝居を少し観に行った時期があった。
映画とは違い、芝居は生の役者をまじかで眺め、その臨場感を肌で味わいながらストーリーを追えるところに魅力があるのだと思える。スクリーンを通さない、生である種のリアルがそこに垣間見られる。のめり込める度合いは、もちろんその時の役者や演出の差もあるとはいえ、映画以上なのかもしれない。(最近は4D映画もあり、臨場感も状況によっては変わってくるが)
そんな観劇からずいぶんと遠ざかっていた筆者だが。

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(写真は去年11月のデザフェスにて)

カニ巫女(@yudashio)という存在がいる。
写真の彼女がそれだ。見ての通りである。
そんな彼女が、Twitter上でとある即興芝居に出ると宣伝していた。
それが、先日筆者が観てきた『オトギユーギ』である。
面白いことを仕掛ける人がいると飛びつく癖のある筆者。もちろん、これは観る価値がありそうだと飛びついた訳だ。

 

始めて観に行った芝居なのだが、どうやら既に10回もの公演を行っているようだ。
のわりには、初観覧者が自分だけでなくそれなりの数いた。これは、出演する役者自体が回を追うごとに変わることの影響だろうか。

この舞台の特徴を簡単に説明してみると、お伽噺をモチーフにした即興芝居を演じる内容らしい。
それだけではない。この芝居の醍醐味は、観覧者も間接的に参加し、芝居の進行に関与できるという点である。これは、観覧者もただ観ているだけでない、今あらゆるジャンルで流行の参加型企画なのである。
参加方法は簡単だ。芝居前に与えられた紙切れに好きな単語やフレーズ(セリフ)を書いてスタッフに渡すだけ。
その書かれた紙を、芝居中にランダムに役者が取り出し、そこに書かれた単語を読んで芝居に無理やり合わせていくのである。つまり、その単語によっては役者がかなりの力技を使って芝居進行を変えていくことになる。こうした形により、観覧者が芝居進行に間接的に影響を与えていくことになる。他にも、舞台シチュエーション、例えば、そこは「天空」「洞窟」「ショッピングモール」などを観覧者側が選択できたりもする。もちろん、この場所選択により内容も大きく変わってくる。
お伽噺なのに現代的な舞台になり、引かれた単語によって、そこは更に次元を飛んだり外国人が現れたり……。
これはこの即興芝居を楽しむうえでも大きなポイントになっていた。

さて、そんな感じで開演された芝居なのだが……なるほど、このそこにいる誰もが予測できない展開は実に面白い! 桃太郎なのに海底で開かれたカーレースから始まったり、一寸法師なのに裁判所から始まったり、ずっと紙コップ役をやらされる役者が現れたり……。そして、紙に書かれた単語により、物語は更にカオスな方向へと走り続けていく……。物語は、本当に「めでたし、めでたし」と終るのだろうか。突飛すぎて展開が全く読めない。

 

そこで、筆者なりにこの舞台の楽しむところをまとめてみよう。
ポイントはいくつかある。

・ランダムに与えられるシチュエーションやセリフなどが、役者のアドリブ力を試す
・チームがランダムの選出により3組に分かれ、その影響によりバラエティーに富んだ芝居が短いながらも3回楽しめる。
・件の通り、観覧者側もフレーズを紙に書くことにより参加した気分になる。また、その書いたフレーズがどのような場面で引かれ、どのように役者が処理されるのかが非常に楽しみである。うまくはまったフレーズが出た時は、なんだかうれしい。
・即興性が故の予定調和な『事故』(つまりは、演出)がなく、全てが偶然性を秘めた事故であり、それが良くも悪くも面白い。

そう、全ては偶然の事故でできた芝居なのである。
偶然の事故が故に、そこにある種の『リアル』が生まれるのだ。まさに、舞台は生ものである。ここでしかないその場限りの芝居が生まれ、ここに来た者だけがそれを楽しむことができる。
そこに展開した良くも悪くも役者陣が繰り出した芝居(ネタ)は全てがリアルなのである。
だからこそ面白い!

 

ちなみに、筆者が紙に書き込んだセリフは……

「浮き袋割れちゃうよ!」

である。
昔、石川よしひろのANNにあった口癖三段落ちインタビューというコーナーで伊集院光さんが出した3つのフレーズの内の一つである。
残念ながら、あまりいい場面で使われずさらりと流された。
こういうのもあるから、リアルなのである。

くどいようだが、芝居は生ものだ。特に、ランダム性を多分に含めた即興芝居となると一回きりの(いい意味での)事故舞台である。そんなコミカルでハチャメチャで観覧者である自分も関われているからこそドキドキする舞台は、観ていて非常に新鮮な感覚でいっぱいだった。

 

最後に、写真を

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