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2019年10月

2019年10月22日 (火)

創作と世界観

大川原さんに最近ブログを更新してないじゃないと指摘されたので、最近感じているあれこれを書き綴ろうかなと。

ここ連日、創作において世界観を広げる広げられるというのは創る側、観る側双方にとって重要なのだなと改めて感じている。
おそらく、自分が見ている世界を何が楽しいのか全くよく理解できないという人は、この『世界感』の段階で違っているのかなと思える。最近は種類はバラバラといえ、プライベートでは創作活動している人ばかりとしか交流していないので、不意に会社などでそうではない人に話を切り出して単調な反応しか返ってこない時に驚きを隠せない。

こんな素晴らしい作品にその反応?!

憤りが生じる。しかし、その反応こそ創作とは程遠い世界にいる人にとっては当たり前なのかなと。
逆に言えば、創作界隈にいる人というのは世界観を受容する装置が脳内のどこかしらに埋まっていて、それがビンビンに反応してやまないのだろう。

 

 

筆者が多趣味なのは、このブログ読者の方々なら理解していただいていると存じる。
相変わらず休みになると多様なイベントに足しげく通っているのだが。
そこでは、あらゆる世界の創作者と触れ合っているのだが、皆がそれぞれ、それこそ多様な個性を引き下げて来場者を楽しませようと試みている。

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(画像はマニアフェスタで出会ったメテオティアーズ with おきち)
キャラクターで表現する人たちもいれば、イラスト、もしくはマスクなどの形ある創作物など表現スタイルは本当にばらばらであるが、どれも筆者が惹き込まれてわざわざ時間とお金をかけていく価値だと判断できたものばかりだ。
しかし、ただその創作物の美麗さに惹かれているというわけでもない。
もちろん、どれも卓越した技術をもってして作られた作品であり、ただ外見を眺めているだけでも感心してしまう。
それだけであらゆる人を虜にしている作品も多い。
だが、それだけでは充分でない。
そこで必要となるのが、『世界感』、更には『文脈』である。


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(別所沼会館で行われた秋祭りでは着ぐるみたちもお手伝いで盛り上げた)

創作する上で世界観を大切にするのは当たり前のことである。
多くの創作者は作品を作る上で頭の中に何かしら独自の世界観が広がったからこそ作品作りを試みようとしたのではないだろうか。
自分が小説を書く上ではまさに世界感の広がりが始まりである。これがなければ始まらない。
しかし、多くの創作をやっていない方々はこの広がりが少ないのだと思える。だからこそ、優れた創作物を提示してもリアクションが少ないのではないだろうか。
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(マスクフェスであらゆる個性溢れた仮面をつけた人たちの集合写真)
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(マスクフェスでは筆者も少しの時間だけマスクをつけてみた)
 
 
先日行われたマスクフェスでも、あらゆる個性溢れる力作を眺めることができた。
このマスクもまた、見た者の頭の中に世界が広がってくる。
また、それらを付けた人々の全体的な雰囲気も、世界感溢れ魅力を放っていた。
筆者も、恐る恐る以前購入した仮面をつけてみたのだが、逆にその世界観で劣等感を抱くに至った。
生半可な気持ちでは世界観が出せずに魅力も微塵もない。
魅力溢れるキャラというのは、キャラ性がしっかりと作り込まれていて惹かれる部分があるのである。キャラに世界観が滲み出ていないと誰からも見向きされないだろう。
メテオティアーズも、ケモノ着ぐるみたちも、仮面愛好家たちも、その辺が卓越して来場者を虜にしていたに違いない。
せっかくの傑作作品を生かすも殺すも、使用者の努力ということである。

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(田中豪氏の個展『生きている部屋』が開催されていた)
  
 
田中豪氏の作品こそ、楽しむにはまさに『世界感』と『想像・妄想』を頭の中に広げることが大切だろう。
この方の作品を前にして、単に「グロテスク」「気持ち悪い・気味が悪い」とだけ言うのは簡単だ。
当然ながら、そんな感想だけでは何も語れていないし、作品を観たことにもならない。
世界観を感じ取ってこそ、作品を楽しんだことになる。
御覧の通りに、パッと見は確かにグロテスクな雰囲気だ。赤と黒を前面に出した作風は血と臓物を彷彿させ嫌悪するかもしれない。
だが、よく見てほしい。その作品の奥に潜むおぞましい『不安』を。
抗いがたい恐怖と沸き立つ逃走欲求を。
そう、この世界は恐怖と不安で成り立っている。
しかし、どうだろうか。作品世界の中に潜む『何か』は奴らの意思で迫りくることはない。
ただ、闇の中からじっとこちらを見つめるだけなのだ。
その意図が掴めない微弱な意思が、我々観ている者を不安へと放り込んでいる。
そして、その不安がやがては『快楽』へと変換されていく。
怖いもの見たさ……と表現すべきなのだろうか。
何かある、何かいる、何かしてくるかもしれない。全てが見ている者の勝手な想像でしかない。しかし、その想像が恐怖を掻き立て、その強い感情が刺激へと変換されていく。
それが、作者の魅力なのかもしれない。その不安で覆われた世界感に、我々は魅力を見出しているのだ。
 
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(少年を中心に大きな世界が広がっている様を描き出すイラストレータ NOEYEBROW氏 のサイン入り色紙)
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(氏のイラストは細かい表現が至る所にちりばめられている)
 
 
一転、急に明るいイラストを描く人物の紹介だ。
少年だからこそ持つ溢れる限りないエネルギーとそのエネルギーが起こす広がりある世界観を描き出す卓越した才能を持つイラストレーター。
それがNOEYEBROW氏だ。
氏の特徴は、少年だけではない。
読者の方々は、もうお分かりだろう。そう、『世界感』である。
氏のイラストはとにかくイラストの隅々にまで紛れ込まされている細かなギミックである。
例えば、上記の写真を見ていただきたい。
団地を舞台にしたイラストの一部である。団地案内板だ。
団地の建物を描くのは当たり前だが、この案内板までも紛れ込ませているのには脱帽する。
団地案内板など、団地マニアか団地住人くらいしか反応できないのではないだろうか。
しかし、キッチリとこういう細かいところまで描きこんでくる。この細かさがむしろ世界観を広げる役割を成している。
他にも、背景に大きく広がる真夏の入道雲や水のうねり、木蔭がもたらす涼しさや寂しさ、光加減で表現するぬくもりや冷たさ。
あげればきりがない。それら細部が少年がいる世界をうまい具合に演出し広げているのである。
だからこそ、多くの人間が彼の少年イラストの世界へと(頭の中で)足を踏む入れているに違いない。
 
 
どうであろう。幾つかの作者や場を上げて創作を楽しむ上での『世界観』の大切さを説いてみた。
くどいようではあるが、これは当たり前の話である。当たり前なのだが、創作に普段から触れていない人にとっては世界観が広がることはあまりないのかもしれない。なんでもない人に世界を説いても頭の中で広がらない限りは本当の魅力に気が付かないのかもしれない。
ふと、こんなことを多くの良作を短期間で眺めながら感じる筆者であった。

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