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2018年11月

2018年11月 4日 (日)

日本のハロウィンは文脈を読み取れるかどうかで楽しみ方が違う

10月31日はハロウィンであり、その数日前からあらゆる繁華街で大勢の仮装した集団が繰り出していた光景を見かけたのではないだろうか。
日本ではすっかりと異国の季節イベントが根付いてしまったわけだが、その楽しみ方もすっかりと本家とは離れたところでアレンジし独自の文化に仕立ててしまっているところが日本人らしいと言えるのかも。
川崎や池袋のハロウィンはその参加者数と空気感からして、異国季節イベントではなく日本人の仮装イベントとして定着してしまったのだな。
すっかりとテレビやネットの話題を持ちさらった渋谷ハロウィンだけは別視点でとらえなければならないのだが。
もはや、この手の文章は幾らでもあらゆるところで読んだ人が多いと思われる。筆者もネット上で個人ブログからビジネスニュースサイトまで色々と識者の視点を読み漁っていた。
今更批判どうこうしてもしょうがないのだが、やはりマスメディアのあおりを受けて調子に乗って渋谷まで出向いた若者が多いという指摘は頷かざるを得なかったのでその点は軽く触れておきたい。幾つか推測があったのだが、バカ騒ぎした若者ほど実は普段は渋谷で遊んではなく、もっと郊外の遊ぶ選択肢が限られた場所で滞留しているような輩ではないのか、というものだ。今の渋谷を主戦場にしている若者の属性がどういうものかは知らないが、この推測はどこかなるほどと納得できるものであった。そんな燻った田舎のヤンキーをあおるような行為はほどほどにしなければ来年もまた荒れるに違いない。
さて、もう一気になる指摘を見つけた。
大山顕氏の
『渋谷のハロウィン騒動について思うのは、あれは高揚ではなく焦燥の結果ではないか、ということ。トリックオアトリートがないハロウィンはやることがないので、なにか成果を求めてしまったのではないか。』
というツイートからの、コスプレはハイコンテクストな文化、という指摘である。
なるほど、と今回何度も頷いているのだが。
つまり、川崎や池袋で見られたような本格的仮装はその裏側に潜む文脈を読んでこそ楽しめる文化なのだな。
まあ、家族でディズニーキャラになる風景もある意味ではその文脈を読み取り楽しめると言えば楽しめるが、それはまたハロウィンとは別の話になりそうなので。
本格的仮装をし、その文脈が捉えられる人間も巻き込んで大いに楽しめるのか。それができるのがコミケや川崎ハロウィンなのだろう。
そういう文脈を楽しめない人間が、ただ盛り上がるという部分だけを求め掬い上げてはしゃいじゃったのかも。
さて、最後に川崎ハロウィンで撮ったハイコンテクストな仮装写真を見て皆で楽しんでいただければ。
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