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2016年6月23日 (木)

怪盗は私たちに楽しい時間を与えてくれた

何度も同じような内容のパフォーマンスを見せつけていては、当然観衆に飽きられて廃れていくものである。
だからこそ、コンテンツを送り出すクリエイター側は都度工夫を凝らし中身を一新させていかなければならない。クリエイター側の創造力・発想力の広がりが試されている。
けれども、中にはその新鮮さの担保となるのは送り手であるクリエイターだけでなく受け手側である観衆にもあるコンテンツも存在する。
受け手側がどのようなタイプの人間かによっても、またそのコンテンツの様相ががらりと変貌してしまうわけだ。
そうやって、演者と観衆が混じり合い『拡張』していくエンターテイメントもある。

 

 

2月にオトギユーギという即興芝居を観に行ったのを読者諸君は覚えているだろうか。
詳しくは過去記事を読んでいただきたい。ここにどのような芝居かも書いてある。
さて、先日またも筆者は退勤後慌てて渋谷に向かい、そのオトギユーギを観に行ったのだ。

前回のオトギユーギは、「お伽噺」が主題として扱われていた。
で、今回は『怪盗オトギ小僧の挑戦状』と題しての即興芝居
出演者の誰かが犯人となり、また誰かが探偵となり、例によってお客さんが書いたフレーズからランダムにひかれた 何か を怪盗が芝居中に盗み出し、芝居後に探偵が怪盗が誰だったかを当てる試み。

といえど、それはあくまでおまけ的な要素に感じられた。
メインは、前回に引き続きやはり即興で予測不可能に流れていく芝居にあったと思える。
今回も死神が転職して不動産になったり、ナメック星に飛んだり、SMプレーがあったり、突発的な一発芸やらされたり、後半ずっとリモコン役する人間が出たり、まっくろくろすけで一気に空気をかっさらっていったりと、ハチャメチャな展開で観ている者を楽しませてくれた。

さて、自分のTwitter ツイートで振り返ってみよう。

『オトギユーギ、前回に引き続き大変面白い芝居でした!
役者の方とお話ししたのですが、やはり台本のない即興は難しいようですね。全てアドリブだから、極端に言えば全く話さないまま追われるし、終始喋ってもいられる。演技力だけでなく、勢いや度胸までもが試されていました。』

 

『追われるし→終われるし

 

で、観ている側もまた油断できないのがこの企画。
先ほどもツイートしたけど、芝居前に演目中役者に読まれるフレーズを観客側が(若干の縛りはありつつも)自由に書けるのですが、これが読まれるタイミングなどで受けなかったりする。
これが本当に悲しい。』

 

『他にも、ちょくちょく観客側に芝居を左右する役目が振られる。
このさじ加減もまた試されている。
つまり、意外と観客側もセンスを試されている企画なのだ。
小屋全体が舞台でもあるし、制作サイドとも言える。』

 

『また、役者……だけでなくて観客側もまたガラリと層が入れ替わればそこに生まれる舞台は違ったものになるはず。
つまり、まだまだ幾らでも拡張の猶予が残った企画だ。
素晴らしい!』


さて、まとめてみよう。
まず、舞台側に立った視点。
舞台後にとある役者さんと話したのだけど、なかなか出ていくタイミングが掴めなかったそうだ。
そう、舞台には常に全員出ているわけではない。何人かが舞台に出て、その他は舞台脇で控えている(序盤はチーム分けしていて事情は違うが)。で、タイミングを見て脇で控えていた役者がそれこそ即興で役とシチュエーションを作りながら舞台に出ていかないといけないのである。その出ていくタイミングが難しく、度胸と頭の回転力が求められる。
誰かが何かを演じてアドリブセリフを決めている最中にも、空気など関係なく強引に舞台に上がり込みセリフを突きつけなければならないのだ。
そこを(なかなか割って入れなかった部分を)舞台中に反省してしまったのが反省ポイントと彼は上げていた。

また、誰とは書かないけど、ちょっとセリフ少なかったなと感じる人もいた。恐らくその人もまた、うまいタイミングに入り込めなかったかセリフがなかなか思い浮かばなかったのだろう。
この舞台、はっきりとしたセリフが一言も決まっていないだけに、この「度胸やタイミング」は役者力を試すこととになっているようだ。もちろん、ユーモラスも。

次に、観ている側の視点。
今回も、芝居前に渡された紙に好きな単語かセリフを書く仕組みになっていた。

「なに その ウツボみたいな顔」

たしか、こんなセリフを筆者は書いたと思う。前回に引き続き謎のセリフだ。
で、これまた前回に引き続き玉砕したのである。つまり、受けが悪かった。
こうなると、なんだかラジオに投稿したハガキが滑ったかのようでもあり、ショックも大きい。

>ちょくちょく観客側に芝居を左右する役目が振られる。
今回うまかったなと感じられたのが、この観客側の対応。
前半の芝居はチーム戦であり、お客さんの反応が一番悪かったチームが落とされる格好になる。
で、役者側にその落とす宣告をする役目がお客さんの中から突発的に選ばれたのだが、この時の対応を選ばれた方はよく分かっていた。
バラエティー番組(ぐるナイのごち企画など)にあるような 「落ちるのはこの人と思わせて……この人……と思いきや、この人なんだよ……なんてことなく、やっぱりこの人だ!」 というあのタメ。あれをしっかりと実行していた。
こういう流れを作りだせるかどうかも、そのときたまたま来ていた、更にたまたま選ばれた人にゆだねられるだけに、生のエンタメならではである。
前回の言葉を借りるなら『事故』連発である。

 

その事故を演出するカギにもなる観客、恐らくは大体が出演者の知人友人関連なのだろう。
しかし、そうでなくここもまたもっとランダム性があれば芝居の内容もガラリと変わる可能性はある。
例えば、それこそ深夜ラジオのハガキ職人が集まったら、紙に書かれるフレーズの内容はもっと馬鹿らしくなるに違いない。
若者中心だったら? もっと女性が多ければ?
とまあ、変化する要素は幾らでもあると思う。
役者や演出じゃなく、お客さん側が変わるだけで内容が変わる可能性がある企画というのは新鮮ではなかろうか。
また、他にも試み次第では幾らでも拡張性を秘めている企画でもある。

今回で12回目の企画らしいが、まだまだ幾らでも広がりのある芝居のようだ。
次が楽しみでもあるし、内容をガラリと変える意味でも、まだ観に行っていない人は次は是非楽しんでほしい。

 

Otogi_2

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