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2016年6月

2016年6月25日 (土)

おもてに浮かび上がる日常と非日常の境目

Kamenya_0
ちょっと前のブログ記事でなぜ仮面を装着するのか・仮面をつける欲求とはどこからやってくるのかについて触れた。
自分の内面性を曝け出すための媒介ツールが仮面なのではないか。フィルターというよりも、仮面をつけることにより外見上別の何者かになれるために、だからこそ自身の底に隠していた本性を出せるのではないのだろうか。
そういうことに触れたと思う。

さて、いきなりだがそのことはとりあえず置いておこうじゃないか。
御託はいい。まずは仮面を見せろ! と叫ぶ方にお勧めしたいお店がある。

仮面屋おもて というお店が墨田区の曳舟に開店した。
もうこのブログを書いている現在(2016年6月25日)よりもひと月以上前の話である。
実は、筆者も2回お店に訪れた。
これまた以前にこのブログ記事でも紹介させていただいたマスクフェスティバルの主催者様が開いた店でもある。

Kamenya_1
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見ての通りで、その名の通りに『仮面』のお店である。
扱っている商品は、仮面や仮面にまつわる書籍類である。
しかし、その種類は豊富であり、狐面などの定番なものやガスマスクやラバーマスク、ペストマスクなどのディープなものまで。中には、これはかぶれるのだろうか? と疑問に感じられる種類までもが扱われている。

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お芝居に使えそうなものから、まさに件の過去記事で紹介したような『別の何者かになれる』仮面までもが揃えられている。ここに来れば、普段の自分とは離れ、内底に秘めていた自分の本性とご対面できる場なのかもしれない。

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筆者の仮面装着時を激写した一枚

お店の人に声をかければ、仮面を試着することも可能。
(一部試着不可の仮面もあるので注意をお願いします)
自分に合うステキな仮面をじっくりと選べることができる。

 

どうであろうか?
このお店、何がまた魅力的かというと、曳舟にある何気ない商店街の一画に存在しているという点。

Kamenya_10
夕方ころ通れば、様々な食材やできあいの惣菜が店頭に並んでいたり買い物帰りの主婦とすれ違ったりする場。本当に日常の中にあるのである。
ただ、このお店だけがどことなく非日常の世界を醸し出している。その違和感こそが面白い。
そして、その日常と非日常が紛れあう 場 こそが貴重なのではないだろうか。
そういう場でこそ、仮面をかぶり普段の(日常の)自分を捨て去り、非日常の(真の)自分を曝け出しながら堂々と闊歩してやるといい。

先日訪れた時、斜め向かいにある書店のおばちゃんが一人お店を訪れて興味本位に仮面を眺めていた。
その後、筆者が店を出た時もどうだったかと問いかけられた。
意外と興味津々な様子であり、仮面に対する嫌悪感は微塵も感じられなかった。
浸透する空気は出来上がりつつあるのかもしれない。
あとは、仮面をつけた皆が日常に紛れ込めばいいだけではないか。

さあ、皆も仮面をつけて日常を闊歩してみよう。
まずは、仮面を求めて『仮面屋おもて』へ行こうじゃないか!

Kamenya_3

 

 

追記

7月10日に3度目の来訪。

なので、写真追加。

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これは三猿、つまり「見ざる、聞かざる、言わざる」をモチーフにした仮面だとか。
編み物のようで、それを何かで固めている様子。
アイデア的にもデザイン的にも素敵な一品。

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狐面と能面のコラボレーション。
……いや、角度的にそうなっただけだだが。
ちょっと怖い写真になったな。

他にも、多種多様な仮面が一杯です。
とにかく一度訪れてみては。

 

更に追記

7月24日に、2階部分が大幅に変わったという情報を聴きつけて4度目の訪問。

なので、その写真をまた追加します。

 


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御覧のように、2階には木製の車を模した大型の棚が設置された。
これには正直度肝を抜かれた。
それ程広くはない空間にここまで大胆な試みを仕掛けてくるとは。
毎度来るたびに新鮮さを感じるお店であるが、今回は新鮮さというよりもその変貌に驚くあまりであった。
ディスプレーされた商品そのものが、まさに一つのアートとして生きているようである。買っていくのが惜しくも感じられる。(いや、買ってね)

 


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店先にはこのようなモニターを見かけた。
モニターには店頭が映っているだけで、一見なんなのか分からないこれ。

モニターの前へ近づけば分かる。
「カー!」と乾いた音とともにモニターに映された人の顔がアップになるのだ。
『ズームイン 顔』だそうです。

訪れた際は、こちらも是非チェック!

2016年6月23日 (木)

怪盗は私たちに楽しい時間を与えてくれた

何度も同じような内容のパフォーマンスを見せつけていては、当然観衆に飽きられて廃れていくものである。
だからこそ、コンテンツを送り出すクリエイター側は都度工夫を凝らし中身を一新させていかなければならない。クリエイター側の創造力・発想力の広がりが試されている。
けれども、中にはその新鮮さの担保となるのは送り手であるクリエイターだけでなく受け手側である観衆にもあるコンテンツも存在する。
受け手側がどのようなタイプの人間かによっても、またそのコンテンツの様相ががらりと変貌してしまうわけだ。
そうやって、演者と観衆が混じり合い『拡張』していくエンターテイメントもある。

 

 

2月にオトギユーギという即興芝居を観に行ったのを読者諸君は覚えているだろうか。
詳しくは過去記事を読んでいただきたい。ここにどのような芝居かも書いてある。
さて、先日またも筆者は退勤後慌てて渋谷に向かい、そのオトギユーギを観に行ったのだ。

前回のオトギユーギは、「お伽噺」が主題として扱われていた。
で、今回は『怪盗オトギ小僧の挑戦状』と題しての即興芝居
出演者の誰かが犯人となり、また誰かが探偵となり、例によってお客さんが書いたフレーズからランダムにひかれた 何か を怪盗が芝居中に盗み出し、芝居後に探偵が怪盗が誰だったかを当てる試み。

といえど、それはあくまでおまけ的な要素に感じられた。
メインは、前回に引き続きやはり即興で予測不可能に流れていく芝居にあったと思える。
今回も死神が転職して不動産になったり、ナメック星に飛んだり、SMプレーがあったり、突発的な一発芸やらされたり、後半ずっとリモコン役する人間が出たり、まっくろくろすけで一気に空気をかっさらっていったりと、ハチャメチャな展開で観ている者を楽しませてくれた。

さて、自分のTwitter ツイートで振り返ってみよう。

『オトギユーギ、前回に引き続き大変面白い芝居でした!
役者の方とお話ししたのですが、やはり台本のない即興は難しいようですね。全てアドリブだから、極端に言えば全く話さないまま追われるし、終始喋ってもいられる。演技力だけでなく、勢いや度胸までもが試されていました。』

 

『追われるし→終われるし

 

で、観ている側もまた油断できないのがこの企画。
先ほどもツイートしたけど、芝居前に演目中役者に読まれるフレーズを観客側が(若干の縛りはありつつも)自由に書けるのですが、これが読まれるタイミングなどで受けなかったりする。
これが本当に悲しい。』

 

『他にも、ちょくちょく観客側に芝居を左右する役目が振られる。
このさじ加減もまた試されている。
つまり、意外と観客側もセンスを試されている企画なのだ。
小屋全体が舞台でもあるし、制作サイドとも言える。』

 

『また、役者……だけでなくて観客側もまたガラリと層が入れ替わればそこに生まれる舞台は違ったものになるはず。
つまり、まだまだ幾らでも拡張の猶予が残った企画だ。
素晴らしい!』


さて、まとめてみよう。
まず、舞台側に立った視点。
舞台後にとある役者さんと話したのだけど、なかなか出ていくタイミングが掴めなかったそうだ。
そう、舞台には常に全員出ているわけではない。何人かが舞台に出て、その他は舞台脇で控えている(序盤はチーム分けしていて事情は違うが)。で、タイミングを見て脇で控えていた役者がそれこそ即興で役とシチュエーションを作りながら舞台に出ていかないといけないのである。その出ていくタイミングが難しく、度胸と頭の回転力が求められる。
誰かが何かを演じてアドリブセリフを決めている最中にも、空気など関係なく強引に舞台に上がり込みセリフを突きつけなければならないのだ。
そこを(なかなか割って入れなかった部分を)舞台中に反省してしまったのが反省ポイントと彼は上げていた。

また、誰とは書かないけど、ちょっとセリフ少なかったなと感じる人もいた。恐らくその人もまた、うまいタイミングに入り込めなかったかセリフがなかなか思い浮かばなかったのだろう。
この舞台、はっきりとしたセリフが一言も決まっていないだけに、この「度胸やタイミング」は役者力を試すこととになっているようだ。もちろん、ユーモラスも。

次に、観ている側の視点。
今回も、芝居前に渡された紙に好きな単語かセリフを書く仕組みになっていた。

「なに その ウツボみたいな顔」

たしか、こんなセリフを筆者は書いたと思う。前回に引き続き謎のセリフだ。
で、これまた前回に引き続き玉砕したのである。つまり、受けが悪かった。
こうなると、なんだかラジオに投稿したハガキが滑ったかのようでもあり、ショックも大きい。

>ちょくちょく観客側に芝居を左右する役目が振られる。
今回うまかったなと感じられたのが、この観客側の対応。
前半の芝居はチーム戦であり、お客さんの反応が一番悪かったチームが落とされる格好になる。
で、役者側にその落とす宣告をする役目がお客さんの中から突発的に選ばれたのだが、この時の対応を選ばれた方はよく分かっていた。
バラエティー番組(ぐるナイのごち企画など)にあるような 「落ちるのはこの人と思わせて……この人……と思いきや、この人なんだよ……なんてことなく、やっぱりこの人だ!」 というあのタメ。あれをしっかりと実行していた。
こういう流れを作りだせるかどうかも、そのときたまたま来ていた、更にたまたま選ばれた人にゆだねられるだけに、生のエンタメならではである。
前回の言葉を借りるなら『事故』連発である。

 

その事故を演出するカギにもなる観客、恐らくは大体が出演者の知人友人関連なのだろう。
しかし、そうでなくここもまたもっとランダム性があれば芝居の内容もガラリと変わる可能性はある。
例えば、それこそ深夜ラジオのハガキ職人が集まったら、紙に書かれるフレーズの内容はもっと馬鹿らしくなるに違いない。
若者中心だったら? もっと女性が多ければ?
とまあ、変化する要素は幾らでもあると思う。
役者や演出じゃなく、お客さん側が変わるだけで内容が変わる可能性がある企画というのは新鮮ではなかろうか。
また、他にも試み次第では幾らでも拡張性を秘めている企画でもある。

今回で12回目の企画らしいが、まだまだ幾らでも広がりのある芝居のようだ。
次が楽しみでもあるし、内容をガラリと変える意味でも、まだ観に行っていない人は次は是非楽しんでほしい。

 

Otogi_2

2016年6月 8日 (水)

立ち上がってもいないが惑ってもいられないので

http://kingkurofune.cocolog-nifty.com/kktheater/kikakurinen.html

かつて、同人誌を出すにあたり上記ページの宣言を力強くした。
少しくどい表現になっているが、ようは「オリジナルを中心に活動している創作者同士が繋がりあって一つの目標に突き進むと面白い作品ができるに決まっているじゃないか! 既存の創作(2次創作)ばかりを消費していないで、新しい可能性に目を向けろよ!」ということである。
改めて表現しなおすなら、「オリジナルでやっている目立っていないが実力ある創作者は世の中たくさんいる。そういう人間同士で繋がりあって刺激的な作品を世に送り出してインパクトを与えてやりたい!」となるだろうか。

 

6月8日はKKの誕生日である。
2016年の誕生日はちょうどキリがいい。
だからこそ、改めて自分の活動を振り返りつつ、人生の分岐点にするためにも今後を考えてみたい。そのための、上記宣言を読み返してみた。

上記で改めて言い直したとおり、今の自分は世の中に溢れている創作者の皆様方をもっと世の中の流れに乗せていく手伝いをしていきたいと感じてならないのだ。つまり、『エンターテイメントの伝道師』である。

これだけ世の中には多くの優良なコンテンツが溢れ、しかも情報が玉石混淆で土石流のように常時押し出されている。
また、様々なツールや情報をネット経由で手軽に手に入れられるようになったものだから、創作者自体がもはや数えきれないほど出現してしまった。そこそこの腕前の人間なら、石を適当に放り投げても当たるくらいである。
そんな飽和状態だからこそ、本当に面白いと思えたクリエイターはきちんと面白いと大きな声で周囲に拡散したい。

また、そういうクリエイターとそのパフォーマンスを享受する側での交流もまた演出したい。
創る側も受ける側もまた、ともに創作に関して多くを語りたい欲求に飢えているはずだから。

そんな『エンターテイメントの伝道師』を目指すという気持ちを高めて、新しい年齢を境に惑わずに立ち上がろうと思う。

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